ビクター・キニョネス
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はキニョネス、第二姓(母方の姓)はエルナンデスです。(Template:スペイン語圏の姓名) |
ビクター・キニョネス・エルナンデス(Victor Quiñones Hernandez、1959年6月30日 - 2006年4月2日)は、プロレスのプロモーター、ブッカーである。プエルトリコでは地元の名士として知られていた。
来歴編集
WWF(現WWE)に関わりプロレスのビジネスを学んだ後、1990年にミスター・ポーゴの悪徳マネージャーとしてFMWに初来日。その後W★INGプロモーションやみちのくプロレスなどにも参戦。1994年にはIWAジャパンを旗揚げし、代表を務めるなど日本のインディープロレス活性に尽力した。
プエルトリコではIWAプエルトリコ代表として活動、金村キンタローや松永光弘などの遠征選手などの世話人も務め、プロレスラー養成所時代のKAIENTAI DOJOにも深く関与した。
WWEやECWに深く関わっていたことから[1]ブッカーとしても活躍、2005年にリッキー・バンデラスを日本に派遣するなどしたが、自身は腰痛の悪化のため来日できなかった。
2006年4月、プエルトリコの自宅にて死去。46歳没[2]。KAIENTAI DOJOにて追悼セレモニーが行われ、ゆかりのあったTAJIRIや上林愛貴なども駆けつけた。
マネージャー担当選手編集
関連人物編集
脚注編集
- ^ “Jim Ross discusses new talent, state of ECW”. SLAM! Sports: February 2, 2001. 2010年6月13日閲覧。
- ^ “Victor Quinones dead at age 46”. Fight Opinion: April 3, 2006. 2010年6月13日閲覧。