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みちのくプロレスは、東北地方を中心に活動しているプロレス団体

株式会社みちのくプロレス
Michinoku Pro-Wrestling Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 みちプロ
本社所在地 日本の旗 日本
020-0752
岩手県滝沢市大釜白山50-20
本店所在地 020-0063
岩手県盛岡市材木町9-8[1]
設立 1992年10月1日
業種 サービス業
法人番号 5400001001522
事業内容 プロレス興行
関連企画の運営
代表者 代表取締役社長 新崎人生
主要子会社 センダイガールズプロレスリング
関係する人物 ザ・グレート・サスケ(創業者)
外部リンク みちのくプロレス公式サイト
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目次

概要編集

1992年10月1日ユニバーサル・プロレスリングを退団したザ・グレート・サスケが設立。地域密着型プロレス団体を標榜して東北地方を中心に活動している。

日本では初のローカル団体であるが、これは「地方の小規模会場であれば会場使用料が安い」、「地方では娯楽が少ない為潜在的な客層がある」という経営戦略の一部でもある。試合の宣伝、試合会場の設営と撤収、グッズ販売は所属選手とスタッフが自ら行う「手作りプロレス」をコンセプトとし支出を抑えている。他にも初期の事務所と道場はサスケの実家の納屋を利用するなどし徹底した支出抑制策をとった結果、1回の興行の集客が200人から300人規模でも利益を上げる事に成功している(普段の興行で試合会場が満員になる事は少ないがプロレス団体としてのコンセプトとして観客数は水増しせず実数を公表している)。

サスケの個人的信条として経営者としての職務中もマスクをつけているが他企業(プロレス団体を含む)を訪問したり経理で金融機関を訪れる際もスーツにマスクといった姿であるため副次的要因として旗揚げ初期には団体の宣伝効果が高まった。地方、全国を問わずマスコミの取材には積極的に応じて宣伝、広報活動の一環としている。

飛び技を主体にしたメキシカンスタイルを持ち味とするため次の2点で他のプロレス団体と異なる。

  1. リング周囲に衝撃吸収用のマットが敷かれていない。これはメキシコでもマットを敷かないためである。そのため場外で投げ技を食らうとダメージが大きくなる(過去に断崖式パワーボムを受けたサスケが負傷したりスペル・デルフィンが2度場外でパイルドライバーを受けて失神してしまうといった事態が起きている)。
  2. ローカルルールとしてタッグマッチにおいて試合権利を持つ選手が場外に出た場合に控えの選手はタッチしなくても試合権利を得てリングに入り試合に加わることができる(タッチしたものと見做される)。スタイルの都合上、試合権利を持つ選手が飛び技を使って場外に出てしまうことが多いため試合が膠着状態になることを防ぐと共に試合展開をスピーディーにするためのルールである。また、そのルールに即した形で控え選手は待機中、タッチロープを持っていない。

歴史編集

旗揚げまでの経緯編集

1992年10月1日ユニバーサル・プロレスリングに在籍中から東北地方でのプロレス振興を構想していたザ・グレート・サスケ岩手県盛岡市に設立(サスケはユニバーサル所属選手一人一人に個人的に声を掛けて上記の経営プランを明かした上で勧誘していた)。11月27日岩手産業文化センターでプレ旗揚げ戦を開催。旗揚げ当初はユニバーサルの地方大会プロモーターの色合いが強かったが、この頃からユニバーサル代表の新間寿恒らユニバーサル経営陣とユニバーサル所属選手との間に紛争が発生(試合中の負傷に対する補償問題が端緒とされる)。

1993年1月、グラン浜田を除くユニバーサル所属選手全員が、みちのくプロレスに移籍。

旗揚げ編集

3月16日矢巾町民総合体育館で旗揚げ戦を開催。来日予定のルチャドールらのビザが下りず急遽、東京都に住んでいたウィリー・ウィルキンスJr.を代わりに参戦させることになる。初めはテレビ朝日の番組「ニュースステーション」を、はじめ各種メディアで取り上げられて話題となるが、その多くが東北地方の片田舎で細々と活動するユニークな弱小プロレス団体といった内容で初の後楽園ホール大会での売上金持ち逃げ事件(1994年2月4日、全試合終了後に大会主催者が売上金を持ち逃げして行方をくらます)、暴力団との関係騒動により警察の圧力で興行が中止になったりと「長続きはしないだろう」という見方が大勢を占めていた。

1994年4月16日新日本プロレス主催で開催された「SUPER J-CUP」にサスケが出場して日本ジュニア界の第一人者の獣神サンダー・ライガーを破って準優勝。6月13日、新日本プロレスで開催された「BEST OF THE SUPER Jr.」にスペル・デルフィンが出場して準優勝。その後も所属選手が新日本プロレスに参戦して活躍したことでマイナー団体である、みちのくプロレスは一気に全国区の人気プロレス団体になる。新日本プロレスの一部所属選手からは反感を買ったが上層部からの評価は良くテレビ朝日の番組「ワールドプロレスリング」の解説を務めていたマサ斎藤は「みちのくプロレスのルーチャですか。こんな素晴らしくて楽しいものとは思わなかったですね。みちのくの選手の若いエネルギーを感じた」とコメント。現場監督を務めていた長州力TAKAみちのくの試合を見た際にトップロープに乗ってからのプランチャを見て「あいつは宇宙人か」と評していた。新日本プロレスでの活躍により所属選手は他団体からひっぱりだこの状態になり正規軍とルード軍「海援隊☆DX」の抗争などで集客が伸びてビッグマッチや東北地方以外の試合会場はどこも常に超満員になる。

所属選手の大量離脱編集

1997年10月、TAKAがWWF(現:WWE)と契約。

1998年2月、サスケの右膝手術による長期欠場で活動休止に追い込まれたが、この期間はデルフィンら選手組合が主催で興行を開催することを発表。3月、ディック東郷MEN'Sテイオー船木勝一(現:FUNAKI)がWWFと契約。7月、獅龍(現:カズ・ハヤシ)がWCWと契約。9月、サスケとデルフィンに亀裂が生じた[2]。サスケは路頭に迷ったあげく青いマスクマン「SASUKE」[3]としてルードへ転向。ルード軍「SASUKE組」を結成して正規軍と対立。

1999年1月17日、デルフィン、愚乱・浪花星川尚浩薬師寺正人瀬野優(現:大王QUALLT)、練習生の木川勇人(現:HUB)、レフェリーの松井幸則が記者会見を行い方向性に亀裂が生じて退団することを発表。デルフィンらは会見中に乱入したSASUKEの声にも無視して退席。その場でSASUKEとレフェリーのテッド・タナベが抱き合い号泣。浪花は後日、デルフィンと別れて、みちのくプロレス預かりとして復帰。改心したサスケは正規軍としてルード軍と抗争。離脱危機に駆けつけたKAIENTAI DOJOのTAKAも合流。主力選手が抜け苦しい経営を迫られることとなり以降はフリー選手を中心とした興行となる。後に正規軍へ合流したフリーの東郷だったが後にルード軍「F.E.C」を結成。サスケもルード軍「SASUKE組」を再集結させてルード対ルードと言う反則だらけの抗争が勃発。

11月3日有明コロシアムで旗揚げ10周年記念大会を開催。メインイベントではザ・グレート・サスケ対スペル・デルフィン戦が実現してデルフィンが勝利するもサスケは無言で立ち去った。

2004年7月、元闘龍門X所属選手を中心とした興行形態に切り替えて「新生みちのくプロレス」として始動。

岩手県から宮城県へ移転編集

2005年7月4日宮城県仙台市に、みちのくエンタテインメント(現:センダイガールズプロレスリング)を設立して本社機能を移す。

2006年4月16日大阪プロレスで行われた新崎人生対スペル・デルフィン戦で新崎がレフェリーのタナベによる理不尽なジャッジで負けたことがきっかけで大阪プロレスとの抗争が始まる。6月10日、約7年半振りにデルフィンが、みちのくプロレスに参戦した際に反則行為やレフェリーのタナベによる高速カウントに観客が激怒して各試合会場ではリングに物が投げ込まれた。6月、GAINAとレフェリーのタナベが大阪プロレスに移籍。9月、大阪プロレスとの抗争に無関心だったサスケがデルフィンに挑発されて激怒。10月8日、王者ザ・グレート・サスケ対挑戦者スペル・デルフィンによる東北ジュニアヘビー級選手権試合が行われて波乱がありながらもサスケは見事に勝利を飾り確執のなかサスケとデルフィンは握手を交わした。

2008年6月19日、旗揚げ15周年記念大会シリーズ「15周年ノスタルジックツアー」の開幕戦を後楽園ホールで開催。

宮城県から岩手県へ再移転編集

2009年8月31日、みちのくプロレスの運営会社が、みちのくエンタテイメントから岩手県滝沢市にある株式会社みちのくプロレスに戻る。

2011年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)並びに福島第一原子力発電所での福島第一原子力発電所事故の影響で所属選手とスタッフが避難所での生活を余儀なくされる。毎年恒例だった九州シリーズ「思えば遠くへ来たもんだ〜酒宴〜」は当初、震災直後ということもあり中止も検討されたが東北地方の支援を求めて例年通りの開催になった。バスとトラックは九州まで山形県越えのルートで行った(東北自動車道などが崩壊していたためである)。

主な興行編集

出稼ぎシリーズ
積雪により東北地方での興行が困難である冬期間中に東京都名古屋市徳島市新崎人生の出身地)、九州で開催している興行。過去に大阪スペル・デルフィンの出身地)でも開催していた。
みちのくふたり旅
1993年から開催しているタッグマッチのトーナメント戦。優勝チームは東北タッグ王座の挑戦権が与えられる。東北タッグ王者が決勝進出した場合は東北タッグ選手権試合になる場合もある。
ふく面ワールドリーグ戦
1995年から4年に1回(4で割って3で余る年)開催している覆面レスラーによるシングルマッチのリーグ戦。第4回以降はシングルマッチのトーナメント戦になっている。
鉄人
読み方は「てつんちゅ」。2002年から開催しているシングルマッチのリーグ戦。優勝者は東北ジュニアヘビー級王座の挑戦権が与えられる。
宇宙大戦争
2006年12月17日から繰り広げられているザ・グレート・サスケバラモン兄弟バラモン・シュウバラモン・ケイ)との抗争。「何でもあり」の特別ルールで行われている。
OOGAMANIA
読み方は「オーガマニア」。2007年8月12日から野橋太郎のプロデュースによる地域活性化を目的に大釜幼稚園体育館で開催している若手選手による興行。地域企業がスポンサーについてるため入場料は無料(「OOGAMANIA番外編」の入場料は有料)。
道場プロレス
2011年7月24日から大釜幼稚園体育館で開催している若手選手による興行。入場料は500円(特別ゲストが参戦する「道場プロレススペシャル」と「道場プロレススーパースペシャル」の入場料は1000円)。

タイトルホルダー編集

みちのくプロレスが管理している王座
タイトル 保持者 歴代 防衛回数 次期挑戦者
東北ジュニアヘビー級王座 MUSASHI 第24代 郡司歩
東北タッグ王座 GAINA
のはしたろう
第27代 日高郁人
藤田ミノル
UWA世界タッグ王座 第26代

所属選手、主要参戦選手編集

スタッフ編集

レフェリー編集

リングアナウンサー編集

トレーナー編集

過去の所属選手、主要参戦選手編集

過去のスタッフ編集

試合中継編集

放送中の番組
終了した番組

関連番組編集

終了した番組

映像、音楽作品編集

VHS編集

  • デルフィンvsSATOの軌跡(1994年)
  • みちのくプロレスはいかがでしょう(1994年)
  • 永遠の炎(1994年)
  • ルチャ・マニア御用達(1995年)
  • 新崎人生の旅立ち編(1995年)
  • 初☆夢 藤原組vsみちのくプロレス(1995年)
  • 覆面ワールドリーグ戦(1995年)
  • 新崎人生掟破り(週刊プロレスビデオ増刊)
  • 再会(週刊プロレスビデオ増刊)
  • ルチャ天国危機一髪!(週刊プロレスビデオ増刊)
  • みちのくプロレスはいかがでしょう2(1996年)
  • 竹脇(1996年)
  • 世界選手権シリーズ 栄光の輝き'96(1997年)
  • サスケのオレがナニしたのヨ?'96(1997年)
  • サスケからダイオキシン みちのくプロレス 1997.10.10. 両国国技館(1997年)
  • 海援隊DXスペシャル(1998年)
  • みちのくプロレスはいかがでしょう3 サスケ新たなる旅立ち(1999年)
  • サスケの新たな旅立ち インパクト篇(1999年)
  • みちのくプロレス10周年記念ビデオ ザ・グレート・サスケ編(2003年)

DVD編集

  • ふく面ワールドリーグ戦 ベストセレクションDVD(2007年)
  • 第4回ふく面ワールドリーグ戦(2007年)
  • みちのくプロレス ノスタルジックDVD3枚組(2008年)
みちのくプロレス ノスタルジック1
みちのくプロレス ノスタルジック2
みちのくプロレス ノスタルジック3
  • みちのくプロレス15周年 ノスタルジックツアー(2008年)
  • ザ・グレート・サスケ20周年記念(2009年)
  • ふく面ワールドリーグ戦 スーパーセレクション(2012年)
  • 第5回ふく面ワールドリーグ戦 決勝トーナメント(2013年)
  • みちのくプロレス ノスタルジック4(2013年)
  • 新崎人生20周年記念大会 徳島編&仙台編(2013年)
  • 陸奥二十年激情 みちのくプロレス20周年記念 in 盛岡(2014年)
  • 電光石火(2018年)
  • ムーの太陽ワールド(2018年)

CD編集

  • みちのくプロレス(1993年)
  • みちのくプロレス大全集(1997年)
  • みちのくWalker(2003年)
  • みちのくプロレス25周年記念(2018年)

映画編集

脚注編集

  1. ^ 株式会社みちのくプロレス国税庁法人番号公表サイト
  2. ^ 1998年9月23日酒田市営体育館で行われたマスク剥ぎマッチに敗れた小野武志のマスク剥ぎをザ・グレート・サスケが止めたことによりスペル・デルフィンらと乱闘になる。
  3. ^ 1998年9月27日ザ・グレート・サスケが野外イベントで行われた試合中に場外乱闘が原因で警察沙汰になり、みちのくプロレスのコミッショナーから「ザ・グレート・サスケ」のリングネーム使用停止の処分を受けた。1999年2月、「ザ・グレート・サスケ」のリングネーム使用禁止が解除された。

外部リンク編集