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概要編集

フォルカルキエは、リュール山地とリュベロン山地の間にあり、シストロンのおよそ南30km、デュランス川の西10kmにある。中世プロヴァンスの首都であった。

町は険しい円錐形の丘の丘陵部分にでき、頂上にはかつてあった中世のシタデル(要塞)の代わりに、8角形のノートルダム・ド・プロヴァンス教会が建っている。シタデルは1601年に破壊された。丘陵に広がる町を見下ろす教会は、1875年に建てられた。夏期の間毎週日曜日に聞くことのできる、組み鐘(カリヨン)を持っている。

町の最古の部分は、ルネサンス様式の噴水(1511年)を持つサン=ミシェル広場周辺、そして幅の狭い通りである。そこにある多くの戸口は、12世紀から16世紀に遡る古い物である。

現在の町の、商業そして社会的な中心は、ブルゲ広場であり、サン=ミシェル広場の下にある。12世紀建設のフォルカルキエ準聖堂は、ブルゲ広場をまたがって立つ鐘楼を持つ。

コルドリエ修道院は、フランシスコ会によって13世紀に建てられた(コルドリエとは、彼らが腰帯として締めていたロープの結び目を指す)。この修道院は、フランス革命まで聖職者たちが暮らしていた。ポール・ド・コルドリエ(Port de Cordeliers)は、町の城壁の残物全てである。

フォルカルキエでは、毎週月曜日の朝に市場が開かれる。市場は、ブルゲ広場と近接する通りを埋める。

注目すべきは、先史時代、ガロ=ロマン時代の工芸品、ガラス細工、マーヌアプトムスティエ=サント=マリーでできた陶器を展示する、自治体博物館である。

歴史編集

フルヌス・カルカリウス(Furnus calcarius)とは、ローマ時代に用いられた石灰の釜から生じたラテン語名である。町南部の谷には今もローマ時代の橋が立っている。プロヴァンス方言では町の名をFourcauquiéという。11世紀終わり、プロヴァンス伯の一族がフォルカルキエ伯となり、12世紀の間独立した伯領を保った。

この時代、フォルカルキエの町は、デュランス川に沿ってマノスクシストロンギャップ、アンブリュンらの町を含むオート・プロヴァンスの首都であった。フォルカルキエは独自の通過を鋳造し、教会は準聖堂の地位にあった。

フォルカルキエ伯は、プロヴァンス伯に挑戦するほどの力を得ていった。敵対関係は1195年に終わりを告げた。フォルカルキエ女伯ガルスンドが、プロヴァンス伯アルフォンス2世と結婚したためだった。2人の間に生まれたレーモン・ベランジェ4世が、2つの伯領を継承した。

レーモンの4人の娘たちは、全員が王妃となった。長女マルグリットはフランス王ルイ9世聖王の妃、次女エレアノールイングランドヘンリー3世の妃、三女サンシーは神聖ローマ皇帝に選出されたコーンウォール伯リチャード(ヘンリー3世の弟)の妃、四女ベアトリスはシチリア王カルロ1世(シャルル・ダンジュー、ルイ9世の弟)の妃となった。

14世紀、カルロ3世が女王ジョヴァンナ1世を暗殺してナポリ王位についた後、プロヴァンス伯、フォルカルキエ伯位を巡って争いが起きた。

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