フライングチルダーズ

1714年生まれの馬

フライングチルダーズFlying Childers、または単にチルダーズChilders〉、もしくはデヴォンシャーチルダーズDevonshire Childers〉、1715年 - 1741年)は、イギリス競走馬種牡馬。近代競馬における最初の名馬とも言うべき馬で、『ジェネラルスタッドブック』にも「他国まで含めても、これまでで最も速い馬であったと広く考えられた」と述べられている[3][4]全弟エクリプスの3代父バートレットチルダーズがいる。

フライングチルダーズ
欧字表記 Flying Childers
品種 ランニングホース
性別
毛色 鹿毛栗毛説もある)[注 1]
生誕 1715年[3][1][4][注 2]
死没 1741年
Darley Arabian
Betty Leedes
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 レナード・チルダーズ
馬主 第2代デヴォンシャー公爵
競走成績
生涯成績 6戦6勝
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名前はレナード・チルダーズ (Leonard Childers) の生産馬ということで「チルダーズ」と呼ばれたが、のちにデヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの手に渡り「デヴォンシャーチルダーズ」とも呼ばれるようになった。また、飛ぶように早いという意味で「フライングチルダーズ」とも呼ばれ、現在ではこの名称がもっとも有名となっている。

1972年以降、ドンカスター競馬場にてフライングチルダーズを記念するフライングチルダーズステークス(5ハロンG2)が行われている。

生涯

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フライングチルダーズが活躍した時代はエプソムダービーの創設前であり、まだジョッキークラブも設立されておらず、サラブレッドという言葉も用いられていなかった。フライングチルダーズ自身競走用に使われる前は、郵便物を運んでいたという話も残っている[要出典]ように、当時は競走目的のみに馬が生産されていたわけではないことがわかる。

レナード・チルダーズ大佐によってヨークシャードンカスター近くのキャントリー・ホール英語版で生産された[5]。血統的には、本馬の父はダーレーアラビアンで、母方も牝祖がめずらしいアラブ系輸入繁殖牝馬であるオールドボールドペグ6号族の祖)であることに代表されるように先祖はすべてアラブ種やターク種、バルブ種で占められており、アラブ馬の特徴を色濃く残している。体高も15.2ハンド[5](15ハンド2インチ≒約157.5センチメートル)と現在の馬に比べれば一回り小さかった。

記録では1721年から1723年の3年間にニューマーケット競馬場で当時の最強馬たちを相手に競走し、一度も負けたことがなかった[1][6]。初出走となったのは1721年4月26日にニューマーケットのビーコンコース(Beacon Course; 芝4マイル1ハロン138ヤード≒約6765メートル)で行われたスピードウェル[注 3]との500ギニーを賭けたマッチレースで、これに勝利[1][7][5]。10月に賭け金1000ギニーでスピードウェルとの再戦が組まれるも、スピードウェル側が500ギニーを支払って棄権している[7]。この年には月日は不明[注 4]ながらアルマンゾル (Almanzor) およびブラウンベティ (Brown Betty) と3頭立てのトライアル(無賞金のテストマッチ)もニューマーケットの周回コース(Round Course; 芝3マイル6ハロン93ヤード≒約6120メートル)で行われ、フライングチルダーズは6分40秒の時計で勝利した[7]。このときフライングチルダーズは9ストーン2ポンド(約58キログラム)、ほかの2頭は8ストーン2ポンド(約52キログラム)というハンデ差だったという[9]。翌1722年10月22日にはチャンター[注 5]との1000ギニーを賭けたマッチレース(6マイル≒約9656メートル)に出走し、これに勝った[9]。サラブレッドヘリテイジではこの年はそれに加えてヨーク競馬場のテストマッチで強豪フォックスを相手に4分の1マイル(約402メートル)差をつける大差勝ちを収めたという[5]。さらに年が明けた1723年4月3日の300ギニーを賭けたロンズデールメア[注 6]およびストリップリング[注 7]との競走は、両馬とも50ギニーをフライングチルダーズに払って棄権したため[7]単走で勝利した[5]。続いて11月に予定された Bobsey[注 8]との200ギニーを賭けたマッチレースも、相手が100ギニーを支払って棄権した[10]

また上述のアルマンゾルおよびブラウンベティとの3頭立ての競走中にフライングチルダーズは1秒で82フィート半を駆け抜けたと考えられ、史上最も足が速い馬という評価の根拠になった[1][11][10]。他にもビーコンコース(4マイル1ハロン138ヤード≒約6765メートル)を7分30秒で走破したとか、1完歩が25フィート(約7.6メートル)あったとか、騎手を乗せた状態で10ヤード(約9.1メートル)跳ぶことができたという記録も残されている[1][11]。なお82.5フィート毎秒(0.9375マイル毎分)は約90.5キロメートル毎時であり、現代のサラブレッドのトップスピードが70キロメートル毎時あまりであることを考えると信じられない数字である。そもそも6120メートルの距離を6分40秒、6765メートルを7分30秒で走ったというのもかなり怪しい。しかしながら、タイムなどはいい加減だったとしても当時の人たちにそれほどまでに強い印象を与えたということだろう。実際かなり遅くまでこれは事実だと信じられており、ジェイムズ・クリスティ・ホワイトは1840年の“History of the British Turf”において、フライングチルダーズやエクリプスの記録されているパフォーマンスが非現実的であるという指摘に対し、多数の観衆がいたのだから間違っていたら異論があったはずだ、と反駁している[12]

引退後は馬主のデヴォンシャー公爵が所有するチャッツワース・ハウスの牧場で種牡馬として供用され、1741年に26歳で死んだ[13][5]。交配相手には恵まれなかったと言われるが、それでもブラックレグズ、ブレイズなどの産駒を出した。後世の集計によれば、1730、1736年のイギリスリーディングサイアーを獲得したとのことである。その後スニップの産駒スナップが種牡馬として成功したが、子孫はエクリプスと同世代で13戦不敗のゴールドファインダーを最後の名馬としてサラブレッドとしては滅亡した。

サラブレッドとして滅んだものの、フライングチルダーズの父系子孫は、スタンダードブレッドアメリカンサドルブレッド英語版において強勢である。これは1788年にアメリカに輸出されたメッセンジャーの産駒であるマンブリノII (Mambrino II) という馬が強く関わっており、以下の様に父系が受け継がれている。特にスタンダードブレッドでは占有率はほぼ100%に近く、アメリカンサドルブレッドでも40%程度のシェアがある。

なお、Y染色体の系統解析により、これらの馬の父系子孫はY染色体MSYに共通の一塩基多型 (SNP) を持っていることが判明している。これは、フライングチルダーズからマンブリノIIの何れかの段階で新たに獲得したと考えられ、少なくともマンブリノIIが生まれた1806年以降の父系血統が正しいことを立証する。また、ダーレーアラビアン系特有のSNPを保有する一方、エクリプスからホエールボーンのいずれかで発生したインデルを持たない。これらの結果は、残されている血統書と矛盾しない。

主な産駒

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  • ブラックレグズ (Blacklegs) - 1746年イギリスリーディングサイアー
  • セカンド (Second) - ヘロドの父パートナーを破る。
  • スニップ (Snip) - リーディングサイアー4回のスナップの父
  • スパンキングロジャー (Spanking Roger) - 1730年代末に活躍、現役で死亡。
  • ラウンドヘッド (Roundhead)
  • ブレイズ (Blaze) - 1751年イギリスリーディングサイアー。父系子孫はメッセンジャーを通じて現存

血統表

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Flying Childers血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ダーレーアラビアン系(→フライングチルダーズ系[要出典]
[§ 2]

Darley Arabian
鹿毛 1700?
父の父
不明
不明 不明
不明
不明 不明
不明
父の母
不明
不明 不明
不明
不明 不明
不明

Betty Leedes
Old Careless
1692
Spanker
鹿毛
D'Arcy's Yellow Turk
Old Morocco Mare
不明 不明
不明
母の母
Cream Cheeks
Leedes Arabian
黒鹿毛
不明
不明
Spanker Mare
芦毛 1690
Spanker
Old Morocco Mare
母系(F-No.) 6号族(FN:6-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Spanker: 3×4, Old Morocco Mare: 4×5×4 [§ 4]
出典
  1. ^ netkeiba.com[14]
  2. ^ netkeiba.com[14]
  3. ^ netkeiba.com[14]
  4. ^ netkeiba.com[14]

曽祖母がスパンカーメアという定説に対し、ママデュク・ウイヴィックの牝馬という説もある。[要出典]

脚注

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注釈

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  1. ^ ウィリアム・ピックは“Turf Register”で栗毛と記しているが[1]、トマス・ヘンリー・トーントンは“Portraits of Celebrated Racehorses”で鹿毛説を併記し、さらにスポーティング・マガジン英語版でのエイブラハム・クーパー英語版ジョン・ローレンス英語版の書簡を引用している[2]。ローレンスによればフライングチルダーズを知る馬主たちは彼を鹿毛馬と呼んでおり、ピックは肖像画が変色していたため勘違いしたのだろうという[2]
  2. ^ サラブレッドヘリテイジには1714年生との記述がある[5]
  3. ^ Speedwell。第2代ボルトン公爵所有の栗毛馬で、1720年に第2代ラトランド公爵のコニースキンズ (Coneyskins) とのマッチレースに勝利していた[7]
  4. ^ ウィリアム・ピックの“Turf Register”やジェイムズ・クリスティ・ホワイトの“History of the British turf”は年も不明確な「1721年頃 (About the year 1721)」としているが、記録されている条件や勝ち時計は同じである[1][8]
  5. ^ Chaunter あるいは Chanter。アカスタータークwikidataの牡駒で、第4代ドロヘダ伯爵が所有していた。
  6. ^ Lonsdale Mare。初代ブリッジウォーター公爵の所有馬。
  7. ^ Stripling。初代ポートモア伯爵の長男であるミルジントン卿の所有馬。ボールドギャロウェイ産駒。
  8. ^ ベイボルトンの牡駒で、第2代ゴドルフィン伯爵が所有していた。

出典

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  1. ^ a b c d e f g Pick (1803), p. 12.
  2. ^ a b Taunton (1887), p. 16.
  3. ^ a b Weatherby (1793), p. 289.
  4. ^ a b Weatherby & Weatherby (1827), p. 419.
  5. ^ a b c d e f g Peters, Anne. “Flying Childers” (英語). Thoroughbred Heritage. 2025年4月12日閲覧。
  6. ^ Whyte (1840), p. 424.
  7. ^ a b c d e Taunton (1887), p. 17.
  8. ^ Whyte (1840), pp. 424–425.
  9. ^ a b Taunton (1887), p. 12.
  10. ^ a b Taunton (1887), p. 18.
  11. ^ a b Whyte (1840), p. 425.
  12. ^ Whyte (1840), pp. 130–132.
  13. ^ Pick (1803), p. 13.
  14. ^ a b c d Flying Childersの血統表”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2025年4月12日閲覧。

参考文献

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  • ChildersThoroughbred Bloodlines[リンク切れ]
  • Weatherby, James, Jr. (1793). "Childers, (Flying or Devonshire)". The General Stud Book. Vol. 1 (First ed.). pp. 289–290. Google ブックスより2025年4月13日閲覧
  • Pick, William (1803). "CHILDERS, also called FLYING CHILDERS". The Turf Register, and Sportsman & Breeder's Stud-book. Vol. 1. pp. 12–13. Google ブックスより2025年4月13日閲覧
  • Weatherby, James; Weatherby, Charles (1827). "CHILDERS (FLYING, or DEVONSHIRE)". The General Stud Book. Vol. 1 (Third ed.). pp. 419–420. Google ブックスより2025年4月13日閲覧
  • Whyte, James Christie (1840). History of the British turf : from the earliest period to the present day. Vol. 1. インターネットアーカイブより2025年4月13日閲覧
  • Taunton, Thomas Henry (1887). "FLYING CHILDERS". Portraits of Celebrated Racehorses of the Past and Present Centuries. Vol. 1. pp. 16–18. Google ブックスより2025年4月15日閲覧
  • 山野浩一『伝説の名馬』 4巻、中央競馬ピーアール・センター、1997年。ISBN 4924426555 

外部リンク

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