ブレシュイール

フランスの町

ブレシュイールBressuire)は、フランスヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ドゥー=セーヴル県コミューン

Bressuire



地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏
(département) ドゥー=セーヴル県
(arrondissement) ブレシュイール郡
小郡 (canton) ブレシュイール小郡
INSEEコード 79049
郵便番号 79300
市長任期 ジャン・ミシェル・ベルニエ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Cœur du Bocage
人口動態
人口 18 605人
2008年
人口密度 103人/km2
住民の呼称 Bressuirais
地理
座標 北緯46度50分27秒 西経0度29分14秒 / 北緯46.8408333333度 西経0.487222222222度 / 46.8408333333; -0.487222222222座標: 北緯46度50分27秒 西経0度29分14秒 / 北緯46.8408333333度 西経0.487222222222度 / 46.8408333333; -0.487222222222
標高 平均:m
最低:98 m
最高:236 m
面積 180.59km2 (18 059ha)
Bressuireの位置(フランス内)
Bressuire
Bressuire
公式サイト ville de Bressuire.fr
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地理 編集

ボカージュ・ポワトヴァン地方の中心にあり、トゥアルからおよそ25km、パルトネーからおよそ30km離れている。自動車で一時間ほどでナントポワティエアンジェニオールへ行くことが可能である。鉄道路線は、モンパルナス駅からソミュールを経由してブレシュイール駅までを結ぶTER路線がある。

由来 編集

1030年代、Berzoriacumというラテン語化された名が残された。1073年と1100年にはBerzoriumと記された。

歴史 編集

 
ノートルダム・ド・ブレシュイール教会
 
19世紀に描かれたブレシュイール城

ブレシュイールはケルト時代、ガロ=ローマ時代には交差路のある場所だった。しかしまちの名が確認されるのは11世紀である。中世のブレシュイール城はトゥアル子爵の領有であり、10世紀には3つの教区が存在した。サン=ニコラ教区は城の中にあり現在は消滅している。

ブレシュイール城は旧市街を見下ろす丘の上にあった。城の外の城壁は13世紀に建てられた。多くの塔や5つの門を備えた城壁であり、城外にはノートルダムとサン・ジャンの2つの教区があった。10世紀にトゥアル子爵がサン=シプリアン礼拝堂を建て、ポワティエのサン=シプリアン修道院へ寄進した。16世紀までブレシュイールの領主であったのはボーモン=ブレシュイール家だった。中世から15世紀まで、ブレシュイールは人口が1万人に達するほどであり、まちは高品質のカーテンを生産することで知られていた。ルイ11世の宮廷官ジャック・ド・ボーモンはまちの名声を高めた。

百年戦争では城とまちが試された。この恐ろしい紛争の時代、フランシスコ会の修道院が創設された。そして同じ時期にできたコルドリエ会の修道院は、1820年にタウンホール建設のため取り壊されている。15世紀、トゥアル子爵ピエール2世、そしてルイの時代まちは経済活動が活発だった。

16世紀のユグノー戦争は、1568年の市街破壊、そして衰退が特徴であった。これは暗黒時代の初めであり、人口は2000人ほどに減少した。しかしブレシュイールはカーテンの製造を盛んに行い、織物業界の17世紀・18世紀は黄金時代であった。ブレシュイールの特産はティルテーヌ(tiretaine)であり、主にパリやノルマンディーで売られていた。

ヴァンデ戦争の間、ブレシュイールは共和国側の支配下にあった。しかし1792年に農民が最初の反乱を起こした。ルイ・グリニョン率いる共和国側の地獄部隊fr)がブレシュイールを焼き、住民を殺害、略奪、暴行し、数軒の住宅しか残さなかった。住民は周辺のむらに避難するしか選択の余地はなかった。

1866年に鉄道が到来すると、都市景観が大幅に変更されることとなった。ブレシュイールはまちをつなぐ鉄道ジャンクションとなった。貿易と技術工学が伝わりブレシュイールとその周辺は、農業と工業の両方が発展した。この時代ブレシュイールで開かれる市は有名だった。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
6528 13804 16101[1] 18423[1] 17827 17797 18225

参照元=Ldh/EHESS/Cassini [2]

経済 編集

県第2の産業と工芸のまちである。数多くの産業地区が郊外にあり、主として中小企業が多く席をおく。ドゥー=セーヴル商工会議所の支所がある。

出身者 編集

姉妹都市 編集

脚注 編集

  1. ^ a b Y compris la commune de Boismé qui avait fusionné avec Bressuire à cette époque.
  2. ^ "Notice communale de Bressuire". Ldh/EHESS/Cassini. 2010年12月3日閲覧