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プブリウス・センプロニウス・トゥディタヌス

プブリウス・センプロニウス・トゥディタヌスラテン語: Publius Sempronius Tuditanus, 生没年不詳、紀元前3世紀)は、共和政ローマ元老院議員。第二次ポエニ戦争に参戦し、ローマが敗戦したカンナエの戦いの後、少数の兵力でカルタゴ勢を突破して生き延びた。また紀元前204年執政官を務めた。

プブリウス・センプロニウス・トゥディタヌス
P. Sempronius C.f. C.n. Tuditanus
出生 不明
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 センプロニウス氏族
官職 按察官(紀元前214年)
法務官(紀元前213年)
前法務官(紀元前212年-211年)
監察官(紀元前209年)
執政官代理(紀元前208年、205年)
執政官(紀元前204年)
指揮した戦争 第二次ポエニ戦争
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概説編集

カンナエの戦いでは司令官アエミリウス・パウッルスは野営地に10,000人守備として待機させていた。カンナエでの大敗でカルタゴ軍が目前に迫る中彼らは選択を迫られる。その士官の一人にトゥディタヌスがおり、彼は生き残りの軍団の撤退の指揮を取ることとなった。

まず彼は皆にを持たせ、横並びにして防御網を作り疲弊したカルタゴ兵を強行突破しようと提案、この提案にはほとんどの者が反対、多くの者はハンニバルに降伏して元老院からの賠償金で解放してもらおうと言った。トゥディタヌスは自分に賛同してくれた600人の者とともに圧倒的なカルタゴ勢に突入、驚いたカルタゴ兵たちは突破を許してしまう。この行為が彼の存在を有名にした。その後執政官ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥスは捕虜たちの賠償金を払っての釈放を拒否、トゥディタヌスと比較して捕虜になった者を臆病者と呼んだという。

紀元前209年に彼は執政官にならないまま、マルクス・コルネリウス・ケテグスとともにケンソルに選ばれる。監察官には元老院を取り仕切る第一人者を任命する権利があり、若いながらもトゥディタヌスは当然ながらこの権利を有していた。同僚のケテグスは慣習に従って年長者の元老院議員トルクァトゥスにするものと思っていたが、トルクァトゥスのような元老院の年長者とは不仲であった彼は、ハンニバルへの守勢対策で不評ゆえに「ぐず」と呼ばれていたクィントゥス・ファビウス・マクシムスを支持、彼の決議は通過した。

紀元前204年にトゥディタヌスはコルネリウス・ケテグスとともに執政官となる。ケテグスとは監察官もともに務めたが、2人の仲が良かったのかはわかっていない。

関連項目編集