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ヘロデ朝
בית הורדוס
ハスモン朝 前37年 - 92年 ローマ帝国
ヘロデ朝の位置
ヘロデ大王時代のヘロデ朝の支配地
公用語 ヘブライ語ラテン語
首都 エルサレム
ユダヤ王・総督・領主
前37年 - 前4年 ヘロデ(初代)
前4年 - 39年ヘロデ・アンティパス(ガリラヤとペレアの領主)
34年 - 93年アグリッパ2世(最後)
変遷
ヘロデがローマよりユダヤ王へ任じられる。 前37年
ユダヤ戦争が起こる。66年(~73年
アグリッパ2世が死去。ローマ直轄領となる。92年

ヘロデ朝ヘブライ語: בית הורדוס‎、英語: Herodian Dynasty紀元前37年 - 92年頃)は、エドム人系のパレスティナ・ユダヤ地区に成立された国家である。ハスモン朝の断絶後に古代ローマ共和政ローマおよびローマ帝国)よりユダエア属州の統治を委任された。ここでイエス・キリストが生まれた。

成立までの経緯編集

ハスモン朝のヨハネ・ヒルカノス1世はその治世中にエドム地方を征服し、エドム人はユダヤ教へと改宗した。

やがて、エドム人は(元々からの)ユダヤ人と統合した。アレクサンドロス・ヤンナイオスが王の時代にはアンティパトロスがエドム地方の総督へ任命された。

彼の息子で同名のアンティパトロスはヒュルカノス2世の最も信頼の厚い腹心として活躍。ヒュルカノス2世アリストブロスが争った際、オリエントへ進軍していたローマの将軍グナエウス・ポンペイウスの支援を得て、ヒュルカノスの勝利に結びつけた。その後もアンティパトロスはローマとの友好関係の維持に尽力した。

紀元前47年、オリエントへ進駐していたガイウス・ユリウス・カエサルよりアンティパトロスはユダヤ地区の統治代理人へ任命された。アンティパトロスは、2人の息子ファサエロスヘロデをそれぞれエルサレムガリラヤの総督へ任命した。

紀元前44年にカエサルが暗殺された後は、マケドニア属州を中心にローマ東方地区を勢力圏に置いたガイウス・カッシウス・ロンギヌスらのリベラトレス側に味方した。

紀元前43年にアンティパトロスが毒殺され、ファサエロスとヘロデが共同で後継者となった。紀元前42年フィリッピの戦いではカッシウスらに味方したが、戦後はマルクス・アントニウスへ帰服した。

ヘロデとヘロデ朝の成立編集

紀元前40年、ハスモン朝の末裔に当たるアンティゴノスがパルティアの支援を得てファサエロスとヘロデの支配地へ侵攻し、ファサエロスを殺害してハスモン朝が一時的に復活した。

ヘロデはアレクサンドリアからローマ市へと逃れ、ローマの元老院で支援を訴えた。元老院はヘロデに「ユダヤ人の王」の称号を与えた。ヘロデはアントニウスの支援を得て、エルサレムへと進軍。紀元前37年にアンティゴノスを打倒して、支配地の再奪取を果たした(ヘロデ朝の成立)。

大王と称されたヘロデは紀元前4年に亡くなるまで統治し、ヘロデの死後は3人の息子がヘロデの遺領を分割支配した。

 
ヘロデ大王死後の3分割統治(太字が3分割領)
  サロメ(ヘロデ大王の妹)の支配地
  シリア属州(ローマ直轄領)
イスラエルの歴史
 
この記事はシリーズの一部です。

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ヘロデ・アルケラオス(ヘロデとサマリア人のマルタケの息子)は、王国の中心地区となるユダヤ、エドムおよびサマリアを支配し6年まで統治したが、失政を重ねたためガリアへと追放され、アルケラオスの王国はローマの直轄領となった。

ヘロデ・フィリッポス(ヘロデとヘロデの5番目の妻クレオパトラの息子)は、バタネアやガウラニティスなどの北東部分を与えられて、34年に亡くなるまで王国を統治し、死後その領地はシリア属州に編入されるが、その地は歳入を別管理として数年後にアグリッパ1世に渡されることになる(『ユダヤ古代誌』XVIII巻4章6節)。

ヘロデ・アンティパス(ヘロデとマルタケの息子、アルケラオスの弟)は、ガリラヤとペレア(Perea)を与えられて統治したが、39年カリグラ帝によってルグドゥヌムへと追放された[1]。このガリラヤ地方で30年ごろにキリスト教がおこった。

アグリッパ1世はヘロデ大王の孫に当たる[2]が、カリグラと親しかったこともあり、フィリッポス死後の37年にその統治した領土の総督に任命された。更に39年に追放されたアンティパスの支配地もカリグラより与えられ、41年にはアルケラオスが元々支配していた領土(ユダヤ、サマリア、エドム)も加えられた。結果として、アグリッパ1世はヘロデ大王が支配していた時期の支配地を回復させた。アグリッパ1世は44年に死去した。

このアグリッパ1世の弟で「ヘロデ」とだけ呼ばれている人物もおり、彼はクラウディウス帝の即位時にカルキス(Chalcis)を与えられた。彼はおよそ7年ほど統治した後、紀元48年ごろ死亡しその後領地は甥のアグリッパ2世に与えられた。[3]

アグリッパ1世の息子であるアグリッパ2世は当初叔父からカルキス領地を引き継いだが、紀元53年にこれと交換する形で父の王国の北部分の支配を承継(南半分はまだローマの直轄領)した[4]66年ユダヤ戦争が起こるなど多難であったが、92年頃に死去するまで統治した。アグリッパ2世の死後はローマの直轄領へと移行した。

このアグリッパ2世の従兄弟(カルキス領主のヘロデの息子)のアリストブロスはネロ帝の時代小アルメニアの王とされ[5]、ウェスパシアヌス帝の時代にカルキス[6]の王として同名の人物が記載されている。ただし、発掘された貨幣の年代などから、カルキスも紀元92年ごろにシリア属州に併合されてローマ直轄になったらしいことが分かっている[7]。 また、ヘロデ大王の息子のうちアレクサンドロス[8]の子孫で同名のアレクサンドロスは大アルメニアの王になったともされている[9]

ヘロデ朝支配者一覧編集

  1. ヘロデ(ヘロデ大王、紀元前37年 - 紀元前4年
  2. 3分統治時期
    1. ヘロデ・アルケラオス(紀元前4年 - 6年、支配地:ユダヤ、エドム、サマリア)
    2. ヘロデ・フィリッポス(紀元前4年 - 34年、支配地:バタネア、ガウラニティスなど)
    3. ヘロデ・アンティパス(紀元前4年 - 39年、支配地:ガリラヤ、ペレア)
  3. アグリッパ1世(34年 - 44年
  4. アグリッパ2世44年 - 93年頃)

系図編集

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ハスモン朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アレクサンドロス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サロメ
 
マリアムネ1世
 
 
 
 
 
 
 
ヘロデ大王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クレオパトラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ベレニケ
 
 
 
アリストブロス4世
 
マリアムネ2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マルタケ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アグリッパ1世
 
 
 
 
 
 
フィリッポス(ヘロデ)[10]
 
ヘロデヤ
 
ヘロデ・アンティパス
 
ヘロデ・アルケラオス
 
 
ヘロデ・フィリッポス[10]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アグリッパ2世
 
ベレニケ
 
 
 
 
サロメ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ ローマ時代ルグドゥヌムと呼ばれる町は複数あり、とくに有名なのがガリア・ルグドゥネンシス属州の州都で現在のリヨンだが、他にイスパニアとの国境であるピレネー山脈北の町(ルグドゥヌム・コンウェナールム)があり、『ユダヤ戦記』II巻9章6節は写本によりこの都市の場所を「イスパニア(スパニア)」と読めるものがあることから、ヨセフスはこのガリアとイスパニア国境の町の方を話していて、国境の位置を間違えイスパニア側だと思っていて後で訂正したのではないかとシューラーは註で説明している。((シューラー2012-12) p.88註41
  2. ^ 上述の領主となった3人の息子の異母兄アリストブロス4世の子、アリストブロス本人はヘロデの生前中に処刑されている。
  3. ^ 『ユダヤ戦記』II巻11章5節-6節・12章1節、『ユダヤ古代誌』XVIII巻5章4節・XX巻5章2節
  4. ^ 『ユダヤ戦記』II巻11章6節-12章1節・12章8節、『ユダヤ古代誌』XX巻7章4節
  5. ^ 『ユダヤ戦記』II巻13章2節、『ユダヤ古代誌』XX巻8章4節
  6. ^ ただしフェニキアにもカルキスがあるので同名の別の領主という可能性もある。
  7. ^ (シューラー2012-12) p.368-369
  8. ^ ヘロデ大王の息子アリストブロス4世の同腹の兄弟、アグリッパ1世やカルキスのヘロデの伯父。アリストブロスとともにヘロデ生前中に処刑。
  9. ^ 『ユダヤ戦記』II巻11章6節
  10. ^ a b 『マルコの福音書』6章17節ではへロディアの前夫を『ピリポ(フィリッポス)』とあるが、ヨセフスの著書『ユダヤ古代誌』第18巻5章4節ではへロディアの夫はヘロデ(大祭司の娘のマリアンメの子、フィリッポスのさらに下の弟。)でサロメが四分領太守フィリッポスの妻としており、エミール・シェーラーの『イエス・キリスト時代のユダヤ民族史』によると内容的に後者の方が正しいとしている。
    なお、大祭司の娘のマリアンメの息子も「フィリッポス」という呼ばれ方をされていたなら両資料で名前が違うことの両立ができるが、「他にヨセフスと新約聖書の記述で呼ばれ方が大きく違う人物が珍しく、兄弟で同名(「ヘロデ」は家名なのでこれとは別)というのもさらに奇妙な事」とある。((シューラー2012 II) p.76・83註19

参考文献編集

  • フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌4 新約時代編[XII][XIII][XIV]』秦剛平訳、株式会社筑摩書房、2000年。ISBN 4-480-08534-3
  • フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌5 新約時代編[XV][XVI][XVII]』秦剛平訳、株式会社筑摩書房、2000年。ISBN 4-480-08535-1
  • フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ戦記1』秦剛平訳、株式会社筑摩書房、2002年。ISBN 4-480-08691-9
  • E・シューラー『イエス・キリスト時代のユダヤ民族史 I』小河陽訳、株式会社教文館、2012年。ISBN 978-4-7642-7351-1
  • E・シューラー『イエス・キリスト時代のユダヤ民族史 II』小河陽訳、株式会社教文館、2012年。ISBN 978-4-7642-7352-8