ホープ軒本舗

日本の東京都武蔵野市にあるラーメン店、およびその運営会社

ホープ軒本舗(ホープけんほんぽ)は、東京都武蔵野市吉祥寺で豚骨醤油ラーメンを提供しているラーメン店である[1]戦前1935年(昭和10年)、難波二三夫により創業。背脂豚骨醤油ラーメン、東京の背脂チャッチャ系[注釈 1]ラーメンの始祖であり[1][3]、東京豚骨醤油ラーメンの先駆けである[4]

株式会社ホープ軒本舗
ホープ軒本舗吉祥寺店
ホープ軒本舗吉祥寺店
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
181-0012
東京都三鷹市上連雀9丁目22番15号
北緯35度41分20.2秒 東経139度33分09.4秒 / 北緯35.688944度 東経139.552611度 / 35.688944; 139.552611座標: 北緯35度41分20.2秒 東経139度33分09.4秒 / 北緯35.688944度 東経139.552611度 / 35.688944; 139.552611
設立 1954年
業種 小売業
法人番号 8012401012986 ウィキデータを編集
事業内容 飲食業
代表者 難波公一
外部リンク hopeken-honpo.jp ウィキデータを編集
テンプレートを表示

店舗の所在地は武蔵野市吉祥寺本町1-14-12であるが、企業としての株式会社ホープ軒本舗の本社所在地は、三鷹市上連雀である[5]

沿革

編集
  • 1935年(昭和10年)、難波二三夫(当時19〜20歳)が東京錦糸堀(現在の錦糸町)で「貧乏軒」という名前で屋台を出したのが始まり。
学生でもないのに学生服をまとい苦学生(呼名は「貧ちゃん」)を演出しての営業を行っていたが、この狙いが当たり、屋台は大繁盛した[注釈 2][6]
難波二三夫は、ラーメン店以外もリヤカーを引いて雑貨売りをしたり、三池炭鉱にも出稼ぎにも行ったりしたという。そして、かつて河岸(魚市場)があった日本橋から移設されたばかりの築地でカルコ(卸した魚を荷に積む手伝い)[7]をして働いていた時、召集令状がかかる[3]
  • 戦後直後の1948年(昭和23年)、阿佐ヶ谷で「成華公司」というラーメン店を開業[3]
食材は闇市に行かなければ手に入らない物が多く、闇市を仕切るのは中国人であったことから、中国人になりすまして(呼名は「葉さん」)バラックでラーメン店を開いていた[6]
  • その後、日本的な名前を付けられるようになり[7]、「特一番」というお店を少しやっていたが、勤めていた人間が名称を勝手に登記してしまい、屋号の変更を余儀なくされる[3]
  • 難波二三夫はいち早く野球ブームの兆しを感じて、戦地から引き上げてきたプロ野球の鉄人川上哲治らの活躍にあやかり屋号を「ホームラン軒」と改称する(当時知り合いであった文部大臣が命名)。場所は、吉祥寺駅北口ロータリーの三角地帯のコバルト商店街(ハモニカ横丁では営業をしていない[3]。)。三鷹・吉祥寺・高円寺・神田・渋谷・高田馬場(ビッグボックスの近く)[7]などに次々に支店をオープンさせる[注釈 3]。全盛期には34軒あった[7]
ラーメン一杯が35円。ラーメンだけで商売をする店はまだほとんど無い時代だった。新鮮な食材をふんだんに使ったホームラン軒の味は評判を呼び、どの店にも長蛇の列が出来るようになった。さらに、難波二三夫は、初めてラーメン屋にカウンターを取り入れた[注釈 4][6][3]
  • 1954年、株式会社ホープ軒本舗として法人化[1]
  • ホームラン軒が区画整理(1965年)[7]、戦後復興の拡張計画などで立ち退きすることになったのを契機に心機一転、また屋台を出すこととなる[注釈 5]
屋台は「ホープ軒」と名付けられた。この名称は、当時、難波二三夫の魅力に絆され目をかけていた役人が「いつも希望を持ちなさい。」との思いから名付けられたのが由来[注釈 6]
ホープ軒本舗では自ら屋台を引くかたわら、貸し屋台業も始めた。商売は成功し、貸し屋台は103に増えた。後にその103の屋台の中から、土佐っ子ラーメンや千駄ヶ谷ホープ軒を輩出した[6]
  • 1978年(昭和53年)から「ホープ軒本舗」として吉祥寺に戻る[7]。路地裏で現在も営業している[3]

屋号

編集
  • ホープ軒本舗系としては、村山店(村山ホープ軒本店、壁勝義が1975年(昭和50年)に創業)[注釈 7]・阿佐ヶ谷店(阿佐谷ホープ軒)[9]・大塚店(ホープ軒本舗大塚店)[10]などが独立している。なお、ホープ軒本舗の公式サイト上に本店である吉祥寺店の他に明記があるのは、このうち大塚店のみである。
難波二三夫の子息には、難波公一のほかに長女と次女がおり、それぞれがラーメン店を営む。いずれの店も「ホープ軒」を店名に冠し、父譲りの豚骨醤油ラーメンを提供している。中でも長女の村山ホープ軒は、におい立つほど豚骨の風味が強い。それは長女の夫が作る上での好みが反映されている模様。味などは各店の裁量に任されている[注釈 8]ため、確かに長女のお店は麺が太く、次女の阿佐ヶ谷店はかなりライトなスープと、店の個性が出ている。血族以外にも、ホープ軒本舗の系統となる店は東京を中心にかなり広がりを見せている[7][注釈 9]

商標

編集
  • ㈱ホープ軒本舗[13]、唐華(とうか)[14]、ニューホープ軒[15]、ホームラン軒[16]、路地裏のラーメン屋[17]などは、商標登録されている。

特徴

編集
  • スープ
豚骨、表面にたっぷりと浮かぶ背脂[注釈 10]、そしてたっぷりの野菜(玉ネギ、ジャガイモ、ニンジンなどの香味野菜[4])を長時間煮込んだもの。じっくり丹念に炊いた豚骨や野菜から抽出されるスープは、濃厚ながらも口当たりはほんのり甘く、まろやか。旨みたっぷりで自家製縮れ麺によく絡む。脂分・塩分のバランスも、高刺激な昨今の潮流とは一線を画す味わいである[6][1]。昭和の屋台の頃の味と一緒であり、白濁した豚骨である[3][注釈 11][注釈 12]
自家製麺。防腐剤不使用。素材の風味を活かした、スープによく絡む縮麺。今も昔も、中華麺は角切・番手24番の細麺(1.25mmとかなり「細い[3]」)を使用。最初はストレート麺でのスタートだったが、1965年頃から、よりスープの絡むウェーブ麺に改良し、現在の形になる。素材には防腐剤などを使わないので、生麺ならではの小麦粉本来の香りや食感である[1]
  • 具材
海苔・チャーシュー・モヤシ・ネギ[4]
チャーシューは、脂の少ない肩ロースを使い、さっぱりとした口当たりに仕上げられ、スープに溶け込んだ背脂との相性が良い。味が染み込みやすいよう薄くスライスした大判サイズである(チャーシューメンには5枚乗る。)[1]
  • メニュー
中華そばとチャーシュー麺の2種類のみ[6][1][注釈 13]
  • トッピング
味付け玉子・ゆで玉子・生玉子・ニンニク[注釈 14]・もやし増量・のり増量・ねぎ・メンマ[1]
  • 唐華
中華そばに加えると辛さだけでなくうまみやコクが増す特製スパイス。1970年頃、タイの留学生が、唐辛子とグラニュー糖をラーメンに入れて食べているのを見て試してみたのが唐華発想の始まり。グラニュー糖を抜くと辛さはあれどコクが無く、様々な材料を試す中で、牡蠣油(オイスターソース)を入れたところ、コクもあり辛味もまろやかに。その後、防腐剤不使用で安心な製品として完成した。提供は店舗卓上だけだったが、1984年から店頭販売している[4]

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ でき上ったラーメンのの上で、加熱して柔らかくなった豚の背脂を、ザルに入れて「チャッチャッ」と振り、ラーメンに脂のトッピングをするところから、こう呼ばれる[2]
  2. ^ 難波公一(難波二三夫の長男、ホープ軒本舗代表取締役)は取材で「そもそもは戦前に錦糸堀と言われた、今の錦糸町駅前に貧乏軒として昭和10年頃から屋台を引き出したの。貧乏軒っていうのは貧乏の風体をした屋台ってことだね。大学出ではないけど古着屋さんにいって詰め襟の学ラン買って、苦学生のような格好で夜、屋台を引っ張っていたと。これが結構繁盛したみたいよ。」と述べている[3]
  3. ^ 難波二三夫は取材で「当時、難波さんが来るのは税務署が来るより怖いと同業者に言われていたよ。税務署は店を潰さないけど、『ホームラン軒』が来たら他の店が潰れると。」と述べている[6]
  4. ^ 難波公一は取材で「ラーメン屋さんでオープンカウンターというのはたぶんウチが最初。戦前からお寿司屋さんとか天ぷら屋さんのようなちょっと食べられるというのはオープンカウンターだったから。フロアだと忙しい時移動とか大変だけど、現在の店舗の15席だと3人従業員いれば十分でしょ。」と述べている[3]
  5. ^ 難波公一は取材で「オヤジと一緒に屋台を引いていたよ。ちょうど任侠者の映画のオールナイト上映が全盛の頃でね、中野駅前とかでやっていたら土曜なんかはひと晩で700〜750杯出たかなぁ。高円寺にも出たし。中野は、南口から歩いた杉山公園の裏あたりに寮や銭湯があったから(屋台としてのニーズがあった)ね。」と述べている[3]
  6. ^ 難波公一は取材で「それでホープ軒本舗として今の吉祥寺の場所に戻ってきて、一から希望を持ってという意味で、希望軒じゃあれだってんで、「ホープ軒」。この頃にのれんが、今の黄色×赤になった。昔は赤い字で書くと赤字になるっていうんで商売では敬遠されたんだけど、他人が使ってないんだったら使おうってんで。なんたって目立つから。」と述べている[3]
  7. ^ 壁祥平は、「…1960年代の後半に、自分の父(壁勝義)が母方の祖父(難波二三夫)と出会い、『ホープ軒本舗』のラーメン屋台をはじめたのが始まりです。いまで言うフランチャイズですね。その後、45年前に独立して、ここを開きました。」と述べている。店は現在、壁紀之(兄)と祥平により切り盛りされている[8]
  8. ^ 難波公一は「吉祥寺以外の、高円寺や大塚店もお店ごとに(スープを)仕込んでいるんですか。」との問いに、難波公一は「そうそう、お店ごとに仕込んでる。でも入っているものは同じだね。」「それ(お店によって味が違うの)はね、場所によって出る数が違うから。」と述べている。[6]
  9. ^ 壁紀之は、「(ホープ軒各店でタレ、スープの出し方は違うが、)共通するのは醤油ダレの豚骨ラーメン、もやしがのっていること。それがホープ軒のアイデンティティじゃないかな。」と述べている[8]
  10. ^ …ラーメンの特徴は、スープの表面にたっぷりと浮かぶ背脂だ。そのこってりとした見た目通り濃厚なスープに違いはないが、深い甘味があるのも特徴的。その秘密は厳選されたたっぷりの野菜を煮込むところにある[4]
  11. ^ 難波公一はスープについて「結局ね、火加減なんだよな。今みたいな白濁した豚骨になったのはね、仕込みをしていて、本来は火を弱くしなきゃいけなかったの。だけど他のことに没頭してて、煮すぎちゃったの。それで白濁しちゃったの。」「捨てるのももったいないしね、ダメ元でオヤジ、やってみるかと。それでまぁブタの臭さもないし、意外と味がしっかりするしね。だけど、中身はほとんど変わらない。和風にして、煮干しとか鯖(サバ)節とかいろんなものを入れる所あるけども、今でこそ豚バラだけだけど、昔は二種混合で鶏も入れたし。それにね、頭も使ってたの、豚の頭。あれがいい味出るんだな。」と述べている[3]
  12. ^ 壁紀之は「…豚骨を使うすっきりめの醤油ラーメンを出していたんですが、煮込んでいたらスープが白くなってきたと。九州にゆかりのない人たちがやっていたし、白濁した豚骨ラーメンなんて知らなかったんですね。」「ところがある日、忙しくて白くなってしまったスープを交換できないまま出してみると『あれっ、おいしいじゃん』ってなったそうなんです。背脂を入れたらコクが出るんじゃないか、と試行錯誤した結果、いまのホープ軒らしいベースのラーメンが誕生しました。」と述べている[8]
  13. ^ …創業時はスープをのばしてカレーなども提供していた[4]
  14. ^ 混ぜ物を一切しない青森産100%ニンニクである。中国産のニンニクが多く出回る中、値段は高いが香りも高い青森産のニンニクを使用している。緑色なのは混ぜ物をしていない自家製で摺りおろしているからである[4](緑変については球根の緑変も参照)。

出典

編集
  1. ^ a b c d e f g h ホープ軒本舗”. ホープ軒本舗. 2022年4月18日閲覧。
  2. ^ 矢都木二郎『麺屋武蔵ビジネス五輪書』学研プラス、2017年2月28日。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 苅部山本. “吉祥寺ホープ軒本舗を抜きにして戦後ラーメン史を語るべからず【豚骨醤油の誕生】”. メシ通. 2020年2月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 『ラーメンマニア』枻出版社、2019年3月4日。 
  5. ^ 株式会社ホープ軒本舗 - 国税庁法人番号公表サイト(2020年6月28日閲覧)
  6. ^ a b c d e f g h i 長田純一他『ラーメンマニアックス』アスペクト、1998年2月5日。 
  7. ^ a b c d e f g 苅部山本『東京ラーメン系譜学』辰巳出版㈱、2019年11月25日。 
  8. ^ a b c 私の一杯”. YAHOO!JAPAN. 2020年2月29日閲覧。
  9. ^ ウワサの”ラーメン女子会”に潜入してみた”. KADOKAWA. 2020年2月29日閲覧。
  10. ^ ホープ軒本舗大塚店”. クックドア. 2020年2月29日閲覧。
  11. ^ 希望軒”. CSコンサルティング㈱. 2020年3月8日閲覧。
  12. ^ 野方ホープ”. ㈱創龍. 2020年3月8日閲覧。
  13. ^ 商標:㈱ホープ軒本舗、登録番号:第3093937号、権利者:㈱ホ―プ軒本舗
  14. ^ 商標:唐華、登録番号:第2149826号、権利者:㈱ホ―プ軒本舗
  15. ^ 商標:ニューホープ軒、登録番号:第3301355号、権利者:㈱ホ―プ軒本舗
  16. ^ 商標:ホームラン軒、登録番号:第3349175号、権利者:㈱ホ―プ軒本舗
  17. ^ 商標:路地裏のラーメン屋、登録番号:第4600274号、権利者:㈱ホ―プ軒本舗

関連項目

編集

外部リンク

編集