ボリス・グルイズロフ

ボリス・ヴャチェスラヴォヴィチ・グルィズロフまたはグリズロフロシア語: Борис Вячеславович Грызлов, ラテン文字転写: Boris Vyacheslavovich Gryzlov1950年12月15日 - )は、ロシア連邦の政治家。ウラジーミル・プーチン政権で第5代ロシア連邦内務大臣などを務めた。

ボリス・グルィズロフ
Борис Вячеславович Грызлов
Boris Gryzlov 2006.jpg
ボリス・グルィズロフ
生年月日 (1950-12-15) 1950年12月15日(70歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 ウラジオストク
出身校 レニングラード物理数学学校
レニングラード電気技術大学
前職 電気技術者
バルト工科大学学長
所属政党 ソビエト連邦共産党
統一ロシア
配偶者 アーダ・ヴィクトロヴナ・グルィズロヴァ
子女 2人
サイン Signature of Boris Gryzlov.png

ロシアの旗 ロシア連邦
第5代内務大臣
内閣 ミハイル・カシヤノフ内閣
在任期間 2001年3月28日 - 2003年12月24日
大統領 ウラジーミル・プーチン

ロシアの旗 ロシア連邦
第3代国家院議長
在任期間 2003年12月29日 - 2011年12月21日
大統領 ウラジーミル・プーチン
ドミートリー・メドヴェージェフ

ロシアの旗 統一ロシア
第2代党首
在任期間 2005年4月15日 - 2007年12月31日
大統領 ウラジーミル・プーチン
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経歴編集

1950年12月15日にソビエト連邦ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ウラジオストクに誕生する。4歳の時にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に移る。レニングラード物理数学学校を経て1973年にレニングラード電気技術大学を卒業する。大学時代はコムソモール(共産主義青年同盟)の活動に積極的であった。

大学を卒業後に科学生産合同「コミンテルン」に勤務。次いで1977年からレニングラード生産合同「エレクトロンプリボル」に移る。この頃ロシア連邦保安庁長官となるニコライ・パトルシェフと共にレニングラードの「最も有用な人物」と呼ばれた。1991年8月までソビエト連邦共産党に所属。1991年12月のソビエト連邦の崩壊後も活発に活動し、1997年からバルト技術大学で教鞭を執る。1999年には国際事業協力基金である「地域の発展」の会長となった。

グルィズロフの政界入りは1999年12月の1999年ロシア連邦下院選挙である。この選挙に新たに結成された「統一」から比例代表で立候補し、当選する。2000年1月に院内会派である「統一」の代表に選出される。同年3月に内務大臣に任命される。同年12月に「統一」が「祖国・全ロシア」と合併し、与党の「統一ロシア」が誕生すると同党の最高会議議員に選出され、ロシア連邦内相を辞任する。2002年には統一ロシアの最高会議ビューロー(執行部)議長(党首)に選出された。2003年12月のロシア連邦下院選挙で統一ロシアは比例区で120議席・小選挙区で126議席を獲得して圧勝し、グルィズロフも再選される。選挙後に召集された国家院で議長に選出された。2004年11月27日に第5回統一ロシア党大会で党首である党最高会議ビューロー議長に再選された。その後統一ロシアは2007年12月のロシア連邦下院選挙で議席数をさらに伸ばし、全議席の6割超を獲得した。2008年5月7日にウラジーミル・プーチン首相が党首に就任したのに伴い、党首を退任する。 さらに2011年12月14日に国家院議長を辞任した[1]。これは12月4日の2011年ロシア連邦下院選挙で与党の「統一ロシア」が大きく議席を減らしたことを受けての引責辞任とも報道された[2]

脚注編集

外部リンク編集

先代:
ゲンナジー・セレズニョフ
ロシア連邦国家院議長
第3代:2003年12月29日 - 2011年12月21日
次代:
セルゲイ・ナルイシキン
先代:
統一ロシア党首
第2代:2005年4月15日 - 2007年12月31日
次代:
ウラジーミル・プーチン
先代:
ウラジーミル・ルシャイロ
ロシア連邦内務大臣
第5代:2001年3月28日 - 2003年12月24日
次代:
ラシド・ヌルガリエフ