マタイによる福音書
『マタイによる福音書』(マタイによるふくいんしょ、古希: Εὐαγγέλιον κατὰ Ματθαῖον[a])は、新約聖書正典に含まれる四福音書のうち最初の書物であり、3つの共観福音書の1つである。本書はイエスが旧約で預言されたメシア(キリスト)であること[1]、イエスの復活、大宣教命令について語っている[2]。また異邦人への伝道が進む教会において、ユダヤの伝統の重要性を強調する[3][4]。本書では、律法学者、祭司長、ファリサイ派らに対する批判が顕著である[5]。
本福音書の著者は未詳である[6]。本書は伝統的に使徒マタイに帰せられているが、批判的な聖書学者の間では1世紀の最後の四半世紀に、当時の聖書の律法に精通したユダヤ人の何者かによって書かれた、という見方が支配的である[6][7]。ほとんどの学者は、マタイ福音書はマルコ福音書とQ資料(文献学における仮説上のイエスの格言集)を参照したと考えている[8][9]。本福音書は初期キリスト教運動の第二世代の成果であるが、第一世代であるイエスの弟子たちの記憶に基づいている[10][11]。
伝統的に『マタイによる福音書』が新約聖書の巻頭に収められ、以下『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。マタイ福音書、マタイ伝、あるいは単に「マタイ」とも呼ばれる[注釈 1]。
著者・成立年代
編集著者と成立年代
編集『マタイによる福音書』本文には、著者に関する記述がない[要出典]。正確な成立時期については聖書学者の間でも意見が分かれている。
本福音書の著者は未詳である[6]。ヒエラポリスのパピアス(紀元60–130年頃[14])をはじめとする教会の伝承によれば、本福音書はイエスの弟子であったマタイによって書かれとされる。 一方で多くの現代の学者は、本福音書が1世紀最後の25年間に、従来のユダヤ教とユダヤ教から派生した後のキリスト教の見解の境目に立ち、当時の聖書の律法の専門的側面に精通したユダヤ人の男性によって書かれたとしている[15][7]。
しかし反対に、N・T・ライトやジョン・ウェナムなどの学者は、マタイ福音書の成立を1世紀後半とするのは問題があるとして、紀元40〜50年代に書かれたと主張している[16][17]。バス・ファン・オスによれば、福音書の成立が紀元70年より前か後かに関わらず、イエスの家族を含む様々な目撃者の生涯が1世紀末まで続いた可能性は統計的に非常に高い[18]。マルクス・ボックミュールは、様々な初期のキリスト教の伝承にこの生涯記憶の構造を見出している[19]。
伝統的見解
編集伝統的見解によれば、この福音書の著者は、教会の伝承では取税人でありながらイエスの招きに答えて使徒となったマタイである。その理由として、福音書の特徴より、「著者がユダヤ系キリスト教徒であること」、「旧約聖書についての知識・興味を持っていること」、「律法学者の伝承に通じていること」、また内容的に、金銭の問題や取税人について多く触れられていることなどがあげられる。一方、近現代の高等批評の立場に立つ聖書学者の多くはこの伝承を疑問視している。
聖書学
編集執筆言語
編集マタイ福音書はすべてがギリシャ語で書かれているわけではなく、5章22節"ῥακά"[注釈 2]のように、アラム語をギリシャ語に翻訳せずそのまま音写している例もある。他にも「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ[注釈 3]」という十字架上のイエスの言葉も、ヘブライ語とアラム語からの音写である。新約学者のO.クルマンは、ここから、マタイはアラム語が通じる相手に語っているとしている[20]。
マタイ福音書が元々何語で書かれていたのかは議論されており、伝承では最初アラム語で書かれ、ギリシャ語へと翻訳されたとされている[要出典]。しかし、『マタイによる福音書』がアラム語で書かれていた場合、シリアなどでは他にもよく読まれた『ヘブライ人の福音書』などがあったにもかかわらず、本福音書だけがすぐに西方で受け入れられたことになる。またギリシャ語の古い版を見ても、翻訳の形跡はほとんど見つけられていない。未だにアラム語のマタイ福音書は発見されていない。[要出典] マタイがユダヤ人を対象として福音書を書いたとはいえ、福音書が書かれたころにはヘレニズム世界に住むユダヤ人の多くにとって、最も馴染み深い言葉はギリシャ語であり、特にエジプトのアレクサンドリアのユダヤ人共同体は世界最大規模であった。例外がエルサレムであり、そこではさまざまな文化的背景を持つユダヤ人たちが暮らし、アラム語が共通語となっていたと考えられる。ユダヤ人を対象に書くにしろ、あえてアラム語で書く積極的な理由を見つけることは難しい。そう考えると、マタイ福音書が初めからギリシャ語で書かれたとする方が辻褄が合う。[要出典]
このような議論から出た「オリジナル=ギリシャ語」という結論に対して、別の角度からの反論もある。それは各福音書の成立の過程を「二資料説」から離れて再検討しようという考え方である。それによれば「二資料説」の考え方とは逆に『マタイ福音』が初めにかかれ、マルコがそこから引用したとする。すなわち、『マタイ福音』はもともとアラム語で書かれたが、『マルコ福音書』の成立後にギリシャ語に訳され、その過程で『マルコ福音書』が参考にされたという説である。『マタイ福音書』全1071節のうち、387節のみが独自のもので、130節が『マルコ福音書』と共通であり、184節が『ルカ福音書』と共通している。[要出典]
高等批評の立場
編集現代、高等批評の立場に立つ学者たちに最も有力な仮説とみなされているのは二資料説[8][9]と三資料説である。二資料説では、『マタイによる福音書』は『マルコによる福音書』とイエスの語録集「Q資料」[注釈 4]から成立したと考えられている。また三資料説では、二資料(マルコ福音書とQ資料)に加えて、「M資料」というマタイによる福音書独自の資料(例えば、マタイ16章の教会の土台に関する箇所など)も執筆時に参考にしていると主張している。ただし、伝統的な聖書信仰の立場に立つ福音派の多くは、このような高等批評の立場に立つ学者たちの仮説を受け入れていない。[要出典]
内容と構成
編集『マタイによる福音書』は構成上、五つの部分に分けることができる。
神学
編集キリスト論
編集本書の目的は、イエスこそがモーセと預言者たちによって予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していると示すことであった。『マタイによる福音書』には旧約聖書(ギリシア語訳・七十人訳)の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されている[要出典]。この福音書の狙いは「律法や預言者を、私は廃止するためでなく、完成するために来た(5章17節)」という言葉にもっともよく表現されている。
『マタイによる福音書』によればイエスはキリスト(救い主)であり、「イエスの系図」(第1章1〜17節)は、イエスをユダヤ民族の父と呼ばれているアブラハムの末裔として、またイスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。このようなイエス理解から[要出典]、本書はユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。
イスラエルの旧約との関係
編集マタイの最大の関心は、ユダヤ人以外の異邦人に福音が伝わり広がっていくなかで、イエスがユダヤの歴史と伝統の文脈上にいることを強調することだった。この関心は、当時の聖書(今で言うキリスト教徒から見て「旧約聖書」)の頻繁な引用、ユダヤの歴史上の他の事件とともに、イエスを新たなモーセとして喚起している点、そしてイエスを律法の破壊者ではなく成就者として提示している点(5章17節)に現れている[21]。マタイは、「律法がもはや新約の下にあるキリスト者に対しては力を持たない」というパウロの教えが反律法主義的に曲解される傾向をおそらく察知しており、反対にむしろキリストが、イスラエルの人々が待ち望んでいた「律法と預言者」の成就を、終末論的で成し遂げたのだと述べた[1]。つまり、マタイによれば、イエスこそが旧約が予告していたメシアだということである[1]。
ユダヤ共同体との関係
編集本書は、特に律法学者とファリサイ派に対する厳しい批判によって、福音伝道者の共同体とユダヤ人との間の対立を反映していると解釈されてきた[5]。また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある[要出典]。イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していたファリサイ派への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがファリサイ派へと変容していったとみなすほうが的確である[要出典]。
特徴
編集旧約の成就
編集マタイは、イエスが旧約を廃止しに来たのではなく、その目的に導き、成就させに来たことを示そうと努めている[1](参照:マタイ5:17–18)。さらにマタイは、イエスの教えだけでなく、イエスの生涯そのものが旧約の成就であることを強調している(参照:マタイ1:22「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」他、数箇所ある)。
芸術
編集『マタイによる福音書』の関連作品として,以下のものがある。
関連項目
編集- 山上の垂訓
- オリーブ山の説教
- 毒麦のたとえ
- 隠された宝のたとえ
- シドン・シナゴーグ イエスがこことその近傍で説教したとマタイによる福音書に記されている。世界最古のシナゴーグのひとつ
- マタイによる福音書1章
- マタイによる福音書2章
脚注
編集注釈
編集- ^ ギリシア語ラテン翻字: Euangélion katà Matthaîon Euangelion ラテン語: Evangelium Secundum Mattheum
一次資料対応箇所
編集出典
編集- ^ a b c d France, R.T (2007). The Gospel of Matthew. Eerdmans. ISBN 978-0-8028-2501-8. pp. 179–81, 185–86.
- ^ Luz, Ulrich (2005). Studies in Matthew. Eerdmans. ISBN 978-0-8028-3964-0. pp.233–34.
- ^ Davies, William David; Allison, Dale C. (1997). A Critical and Exegetical Commentary on the Gospel According to Saint Matthew. Vol. III: Commentary on Matthew XIX–XXVIII. T&T Clark Ltd. ISBN 978-0-567-08518-4, p.722.
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- ^ a b Burkett 2002, p. 182.
- ^ a b c Burkett 2002, p. 174.
- ^ a b Duling 2010, pp. 301–02.
- ^ a b Duling 2010, p. 306.
- ^ a b Turner, David L. (2008). Matthew. Baker. ISBN 978-0-8010-2684-3. pp.6–7.
- ^ Dunn, James (2017). Who Was Jesus?. Church Publishing. p. 4. ISBN 978-0898692488.
- ^ Scholtz, Donald (2009). Jesus in the Gospels and Acts: Introducing the New Testament. Saint Mary's Press. ISBN 978-0-88489-955-6. pp.34–35.
- ^ 小河陽「マタイによる福音書」『岩波キリスト教辞典』大貫隆、名取四郎、宮本久雄、百瀬文晃編、岩波書店、2002年、1064頁。ISBN 4-00-080202-X。
- ^ ダヴィド水口優明 編著『正教会の手引』日本ハリストス正教会教団 全国宣教企画委員会、2004年、2013年改訂、197頁。
- ^ Keith, Chris (2016). "The Pericope Adulterae: A theory of attentive insertion". In Black, David Alan; Cerone, Jacob N. (eds.). The Pericope of the Adulteress in Contemporary Research. The Library of New Testament Studies. Bloomsbury Publishing. p. 92. ISBN 978-0-567-66580-5. p.92.
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参考文献
編集- Burkett, Delbert (2002). An introduction to the New Testament and the origins of Christianity. Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-00720-7
- Duling, Dennis C. (2010). “The Gospel of Matthew”. In Aune, David E.. The Blackwell Companion to the New Testament. Wiley-Blackwell. ISBN 978-1-4051-0825-6