マーク・サンドリッチ(Mark Sandrich、1900年8月26日 - 1945年3月4日)は、ユダヤ系アメリカ人映画監督作家プロデューサーニューヨーク州ニューヨークに生まれ、カリフォルニア州ハリウッドで没した。

1930年代から1940年代初期の映画監督の一人で、映画業界に入った時にはコロンビア大学工学の学生だった。映画のセットに友人を訪ねた際、監督の撮影準備の問題に気づいてアドバイスをする。

その後撮影備品部門で映画界に入り、1927年に短編コメディ専門の映画監督となる。

その翌年最初の長編を作ったが、トーキー映画出現後短編に戻る。

1933年、短編『So This Is Harris! 』を監督しアカデミー賞を獲得する。

その後再度長編作品、特にコメディに着手し、バート・ウイーラーロバート・ウールジーを主役にしたチームで『メリケン万歳爆走の巻』を撮影する。

1934年、フレッド・アステアジンジャー・ロジャースのミュージカル『コンチネンタル』を監督。興行的に成功する。

1935年、『トップ・ハット』を監督。

その後『艦隊を追って』、『踊らん哉』、『気儘時代』などを監督。

1940年、RKOからパラマウント映画へ移籍し、監督だけでなくプロデューサーをする機会を得る。

1942年1月、アメリカが第二次世界大戦に参戦した直後にフレッド・アステアビング・クロスビー主演、アーヴィング・バーリン音楽のミュージカル・コメディ『スイング・ホテル』が公開される。同じ女性をめぐりクロスビーとアステアがライバル同士を演じ、クロスビーの歌う「ホワイト・クリスマス」はその挿入歌として使われた。

1943年、『われら誇りもて歌う』は彼の監督及びプロデュース作品で、エイドリアン・ブースジョージ・リーヴスを主演させた。

1945年、『スイング・ホテル』の続編、ビング・クロスビー主演でアーヴィング・バーリンの音楽を特徴としている『ブルー・スカイ』のテスト撮影中、突然心不全で死亡し、Home of Peace Cemeteryに埋葬される。

全米監督協会会長就任中でもあった。

彼の息子マーク・サンドリッチJr.ジェイ・サンドリッチも監督となる。

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