ムンダ (護衛空母)

アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級。

ムンダ (USS Munda, ACV/CVE-104) は、アメリカ海軍護衛空母カサブランカ級航空母艦の50番艦。艦名はニュージョージア島ムンダに由来する。

ムンダ
USS ムンダ(1945年、サンフランシスコ湾)
USS ムンダ(1945年、サンフランシスコ湾)
基本情報
建造所 ワシントン州バンクーバーカイザー造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 航空母艦護衛空母
級名 カサブランカ級
艦歴
起工 1944年3月29日
進水 1944年5月27日
就役 1944年7月8日
退役 1946年4月24日
除籍 1958年9月1日
その後 1960年6月17日、スクラップとして売却され、大阪で解体
要目
基準排水量 8,319 トン
満載排水量 11,077 トン
全長 512フィート3インチ (156.13 m)
水線長 490フィート (150 m)
最大幅 65フィート2インチ (19.86 m)
飛行甲板 474×108フィート (144×33 m)
吃水 満載時20フィート9インチ (6.32 m)
主缶 B&W製ボイラー×4基
主機 5気筒スキナー式ユニフロー蒸気機関英語版×2基
出力 9,000馬力 (6,700 kW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 19ノット (35 km/h)
航続距離 10,240海里 (18,960 km)/15ノット
乗員 士官・兵員860名
兵装
搭載機 28機
その他 カタパルト×1基
艦載機用エレベーター×2基
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艦歴

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1944年3月29日にワシントン州バンクーバーカイザー造船所で起工する。当初はACV-104(補助空母)として建造されたが、1943年7月15日にCVE-104 (護衛空母)へと艦種変更された。1943年9月23日に「トノウェク・ベイ (Tonowek Bay) 」と命名されたが、1943年11月6日に「ムンダ」へ改名された。1944年5月27日にジェームズ・E・ダイアー夫人によって進水し、1944年7月8日に海軍に引き渡され、L. A. ポープ艦長の指揮下で就役した。

西海岸での整調後に太平洋艦隊チェスター・ニミッツ大将)の空母輸送部隊に配属された「ムンダ」は、1944年8月16日に単艦での処女航海に出航する。71機の航空機と202名の兵員を乗せ、9月1日にエスピリトゥサント島に到着。続いてフィンシュハーフェンマヌス島に向かい、その後アラメダに帰還した。2度目の輸送任務は12月5日に完了し、12月12日に3度目の輸送任務に就く。その後も輸送任務を継続し、1945年中旬まで3度の航海を行った。「ムンダ」は7月3日にエニウェトク環礁で第30.8任務群に加わり、第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)へ航空機とパイロットを運搬した。

「ムンダ」は7月20日に任務部隊に合流し、7月26日まで同地に留まった後、補給のためグアムに向かう。同月末に出航し、8月3日に第38任務部隊と再び合流。空母への補給を行い、7日と11日にも同じ作業を行った。8月13日に艦隊を離れ、グアムへ向かう途中に日本の降伏を知る。「ムンダ」は第30.8任務群に再び加わり、日本占領の第一陣とともに最初の週を沖合で待機し、9月10日に東京湾に入る。

10月2日に東京を出港し、マジック・カーペット作戦に加わる。翌年にかけて帰還兵を輸送し、同任務が完了すると1946年1月18日にワシントン州ポート・アンジェルスで不活性化の準備を始める。「ムンダ」は1946年9月13日に退役し太平洋予備役艦隊に加わり、タコマに停泊する。1955年6月12日にCVU-104(雑役空母) に艦種変更され、1958年4月19日にブレマートンに回航される。その後、9月1日に除籍され、1960年6月7日にニューヨークのジェネラル・オーレ社に売却、大阪で解体された。[1]

「ムンダ」は第二次世界大戦の戦功での1個の従軍星章を受章した。

脚注

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  1. ^ 中井 八郎「神戸港 徒然の記 米海軍の護衛空母たち」『世界の艦船』2007年8月号(通巻第678集)、162頁

関連項目

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外部リンク

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