ユーディト・アルント(Judith Arndt、1976年7月23日- )は、ドイツ、ケーニヒス・ヴシュターハウゼン出身の女子自転車競技選手。

ユーディト・アルント
Judith Arndt
個人情報
本名 Judith Arndt
ユーディト・アルント
生年月日 (1976-07-23) 1976年7月23日(47歳)
国籍 ドイツの旗 ドイツ
身長 173㎝
体重 59㎏
チーム情報
分野 ロードレース & トラックレース
役割 選手
グランツール最高成績
主要レース勝利

世界選手権

個人追抜 1997
個人ロード 2004
ITT 2011-2012
女子ワールドカップ 2008
獲得メダル
オリンピック
2004 アテネ 個人ロード
2012 ロンドン ITT
1996 アトランタ 個人追抜
世界選手権自転車競技大会
1997 パース 個人追抜
2004 ヴェローナ 個人ロード
2011 コペンハーゲン ITT
2012 リンブルフ ITT
1999 ベルリン 個人追抜
1999 ベルリン ポイント
2000 マンチェスター 個人追抜
2000 マンチェスター ポイント
2003 ハミルトン ITT
2004 ヴェローナ ITT
2010 メルボルン ITT
2012 リンブルフ TTT
1997 サン・セバスティアン 個人ロード
1998 リヨン 個人追抜
2008 ヴァレーゼ 個人ロード
2008 ヴァレーゼ ITT
最終更新日
2012年8月2日

来歴 編集

世界自転車選手権ではロードレーストラックレースの両方で世界一を経験。これ以外にも、数多の実績を誇る名選手であるが、オリンピックについては過去2回、苦い思いを経験している。

2000年シドニーオリンピックロードレースの個人タイムトライアル(ITT)及びトラックレースの個人追い抜き並びにポイントレースに出場。しかし、いずれの種目も優勝候補に挙げられながら、ITTでは7位、個人追い抜きでは予選敗退、ポイントでは5位と、メダル獲得すらならなかった。

2004年アテネオリンピック。個人ロードレースと個人タイムトライアルに出場。個人ロードでは、優勝することになるセーラ・キャリガンオエノーネ・ウッドオーストラリア勢をただ一人最終周回で猛追。最後まで力強い走りを見せ、銀メダルを獲得したが、ゴール通過後、中指を立てる[1]という、挑発的なポーズを見せて後に物議を醸した。一方、その後行われた個人タイムトライアルでは11位に終わった。

アテネオリンピックについてはレース前からドイツ自転車連盟と確執状態が続いていた。その理由は、ルームメイトである、ペトラ・ロスナーを代表から外したことに起因している。中指を立てるというポーズを見せたのも、ドイツ車連に対しての抗議だったと見られている[2]。その後、アルントはこの件に関してドイツ車連に謝罪。その後行われた同年の世界選手権では、ITTでは2位、そして個人ロードでは優勝を果たすことになった。

現在も世界第一線級のロードレース選手として活躍を続けており、2008年UCI女子ロードワールドカップにおいて、初の総合優勝。2011年にはロードレース世界選手権の個人タイムトライアルを制した。

主な実績 編集

1996年

1997年

1998年

1999年

2000年

2001年

  •   ドイツ選手権・個人タイムトライアル(ITT) 優勝

2002年

  •   ドイツ選手権・個人ロードレース 優勝
  • ウーマンズ・チャレンジ 総合優勝
  • レッドランズ・バイシクル・クラシック 総合優勝

2003年

2004年

2005年

  •   ドイツ選手権・個人タイムトライアル(ITT) 優勝
  • Gracia - Orlova 総合優勝
  • ブエルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオン 総合優勝

2006年

  • Gracia - Orlova 総合優勝

2007年

  • Gracia - Orlova 総合優勝
  • ツアー・オブ・ニュージーランド 総合優勝
  • テュリンゲン・ルントファールト 総合優勝

2008年

  • UCI女子ロードワールドカップ 総合優勝
  • 世界選手権
    • 個人ロードレース 3位
    • ITT 3位
  • ツール・ド・ロード 総合優勝
  • ル・ツール・デュ・モンレアル 総合優勝
  • テュリンゲン・ルントファールト 総合優勝
  • ジロ・デッラ・トスカーナ 総合優勝

2009年

  • エマクメーン・ビラ 総合優勝

2010年

2011年

2012年

私生活 編集

1996年からパートナーである自転車競技選手のペトラ・ロスナーライプツィヒで暮らしていた[3]。二人は2005年、翌年シカゴで開催されたゲイゲームズのアンバサダーとなった[4]。その後、元自転車競技選手で弁護士のアンナ・ウィルソン(Anna Millward)との交際が始まり、2012年にメルボルンに移住した。

脚注 編集

  1. ^ http://www.faz.net/imagecache/{1C8E53A4-C32F-4899-B068-3DEA4091A6D7}picture.jpeg
  2. ^ http://autski.blogspot.com/2004/08/blog-post_16.html
  3. ^ German cyclist Arndt livid over exclusion of lesbian lover”. Australian Broadcasting Corporation (2004年8月16日). 2018年4月5日閲覧。
  4. ^ Rossner and Arndt become Gay Games ambassadors

外部リンク 編集