ラジャ・ベル

アメリカのバスケットボール選手 (1976 - )

ラジャ・ベルRaja Bell, 1976年9月19日 - )は、アメリカ領ヴァージン諸島のプロ元バスケットボール選手アメリカ領ヴァージン諸島セント・クロイ島出身。ポジションはシューティングガードアメリカ領ヴァージン諸島代表として国際大会への参加経験もある。

ラジャ・ベル
Raja Bell
クリーブランド・キャバリアーズ
ポジション SG
役職 選手管理部門ディレクター
基本情報
国籍 アメリカ領ヴァージン諸島の旗 アメリカ領ヴァージン諸島
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1976-09-19) 1976年9月19日(47歳)
出身地 アメリカ領ヴァージン諸島の旗 アメリカ領ヴァージン諸島
セント・クロイ島
身長(現役時) 196cm (6 ft 5 in)
体重(現役時) 97.5kg (215 lb)
キャリア情報
出身 フロリダ国際大学
ドラフト 1999年 ドラフト外
選手経歴
1999-2001
2001-2002
2002-2003
2003-2005
2005-2008
2008-2009
2009-2010
2010-2013
ヤカマ・サンキングス ヤカマ・サンキングス
フィラデルフィア・76ers フィラデルフィア・76ers
ダラス・マーベリックス ダラス・マーベリックス
ユタ・ジャズ ユタ・ジャズ
フェニックス・サンズ フェニックス・サンズ
シャーロット・ボブキャッツ シャーロット・ボブキャッツ
ゴールデンステート・ウォリアーズ ゴールデンステート・ウォリアーズ
ユタ・ジャズ ユタ・ジャズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ領ヴァージン諸島の旗 1997-2003
フェニックス・サンズ時代のベル

経歴 編集

1999年、北米の独立リーグであるCBAヤカマ・サンキングスから全体29位指名を受けた。1999-00シーズンをサンキングスでプレイし、その年のオールルーキーチームにも選出された。

2000年8月2日、サンアントニオ・スパーズと契約したが、シーズン開幕前に解雇された。その後、前年に所属したサンキングスと再び契約。2001年4月16日、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ10日間契約を結びNBA選手としてのキャリアをスタートさせた。2000-01シーズンの最後5試合でのプレイだったが、プレイオフでも23試合中15試合に短い時間ながらも出場した。特にイースタン・カンファレンス決勝のミルウォーキー・バックスとの第7戦でベルは2桁得点をあげてチームが勝利することに貢献した。NBAファイナルでも5試合全てに出場した。2001-02シーズンはシクサーズで74試合に出場、平均3.4得点でプレイオフでもボストン・セルティックスに敗れた5戦のうち、3戦に出場した。

2002年8月にはスペインリーグ1部リーガACBタウ・セラミカと契約したが9月に解雇された。その後、2002年10月1日にダラス・マーベリックスと契約すると、75試合中に出場した。その内、32試合で先発出場を果たした。平均15.6分出場、3.4得点を記録した。2002-03シーズンのプレイオフではカンファレンス決勝までの17試合に出場し、平均5.7得点、3.0リバウンドを記録した。

2003年9月26日、ユタ・ジャズに加入、NBAしてから最も活躍した年となった。この年、82試合全てに出場して、先発したのは4試合だったが、平均24.6分の出場で11.2得点、2.9リバウンド、1.3アシストを記録した。2004-05シーズンはさらに成績は上向き、63試合の出場に留まったが、平均12.3得点、3.2リバウンド、1.4アシストを記録した。

2005-06シーズンにはフェニックス・サンズに移籍。これまではオフェンスよりもディフェンスで貢献する選手とされていたが、スティーブ・ナッシュによってシューターとしての才能を開花させると、79試合に先発出場して、37.5分出場、14.7得点をあげた。また、この年キャリア最高の3ポイントシュート成功率44.2%をマークした。オールスターゲームにおける3ポイントシュートコンテストのメンバーに選ばれたが、家族の病気のため辞退、代わりにギルバート・アリーナスが出場した。プレイオフのロサンゼルス・クリッパーズ戦ではオーバータイムに3ポイントシュートを残りわずかのところで決めるなど、シリーズの勝利に貢献した。2006-07シーズンはランアンドガン主体のサンズにいながらオールディフェンス1stチームに選出され、初の個人タイトルを受賞する。特に,74ものオフェンスファウルを誘った事は特筆に値する。個人スタッツは前シーズンとほぼ同じ水準を維持し、チームはリーグ2位の勝率でレギュラーシーズンを終えたが、プレイオフではカンファレンスセミファイナルでサンアントニオ・スパーズに敗れた。

ナショナルチーム 編集

2001年アルゼンチンネウケンで開催された2002年世界選手権のアメリカ大陸予選を兼ねたFIBAアメリカ選手権ヴァージン諸島代表の一員として参加。チームのエースとして7位入賞に貢献。

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集