ロッキー・ファレスRocky Juarez1980年4月15日 - )は、アメリカ合衆国男性プロボクサーテキサス州ヒューストン出身。本名はリカルド・ファレスRicardo Juárez)。メキシコ系アメリカ人

ロッキー・ファレス
基本情報
本名 Ricardo Juárez
階級 フェザー級
身長 165cm
リーチ 175cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1980-04-15) 1980年4月15日(44歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州ヒューストン
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 42
勝ち 30
KO勝ち 21
敗け 11
引き分け 1
テンプレートを表示
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子 ボクシング
オリンピック
2000 シドニー フェザー級
世界ボクシング選手権
1999 ヒューストン フェザー級

来歴

編集

アマチュア時代

編集

1997年ハンガリーブダペストで開催された1997年世界ボクシング選手権大会にフェザー級(57kg)で出場し、1回戦で敗退した[1]

1999年、アメリカのヒューストンで開催された1999年世界ボクシング選手権大会にフェザー級(57kg)で出場し、優勝した[2]

2000年オーストラリアシドニーで開催されたシドニーオリンピックにフェザー級(57kg)で出場し、決勝で敗れ銀メダルを獲得した[3]

プロ時代

編集

2001年1月13日、プロデビュー。

2005年8月20日、WBC世界フェザー級暫定王座決定戦でウンベルト・ソト  メキシコ)と対戦し、0-3(112-114、113-114、113-114)の僅差判定負けで王座獲得ならず。キャリア初黒星を喫し、デビュー以来の連勝記録は23でストップした。

2006年5月20日、WBC世界スーパーフェザー級王者マルコ・アントニオ・バレラ  メキシコ)に挑戦し、1-2の判定負けで王座獲得ならず。

2006年9月16日、WBC世界スーパーフェザー級王者マルコ・アントニオ・バレラにダイレクトリマッチで再挑戦し、0-3の判定負けで王座獲得ならず。

2007年11月3日、WBC世界スーパーフェザー級王者ファン・マヌエル・マルケス  メキシコ)に挑戦し、0-3の大差判定負けで王座獲得ならず。

2009年2月28日、WBA世界フェザー級王者クリス・ジョン  インドネシア)に挑戦し、0-0の判定ドローで王座獲得ならず。

2009年9月19日、WBA世界フェザー級スーパー王者クリス・ジョンに再挑戦し、0-3の判定負けで王座獲得ならず。

2010年4月3日、NABF北米スーパーフェザー級王者ジェイソン・リーツォー  アメリカ合衆国)と対戦し、ファレスの7回終了時棄権により王座獲得に失敗した。

2010年7月31日、元WBC世界フェザー級王者で元WBA世界スーパーフェザー級王者のホルヘ・リナレス  ベネズエラ)とWBAフェデラテンライト級暫定王座決定戦で対戦し、0-3の判定負けを喫し、王座獲得に失敗した。

2011年2月9日、アレハンドロ・サナブリア  メキシコ)とWBCアメリカ大陸スーパーフェザー級王座決定戦で対戦し、0-3の判定負けを喫し、王座獲得に失敗した。

その後、2012年6月2日の試合までに6連敗を喫する。

2014年5月26日、レネ・アルバラードと対戦し、番狂わせとなる12回3-0の判定勝ちを収め、WBCフェザー級シルバー王座を獲得した。

2015年1月26日、ロビンソン・カステラノスと対戦するが、5回に1度、12回に3度ダウンを奪われ大差判定負けを喫し、試合後にリング上で引退を発表した[4]

脚注

編集
  1. ^ 9.World Championships - Budapest, Hungary - October 18-26 1997”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2015年6月12日閲覧。
  2. ^ 10.World Championships - Houston, USA - August 20-27 1999”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2015年6月12日閲覧。
  3. ^ 27.Olympic Games - Sydney, Australia - September 17-30 2000”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2015年6月12日閲覧。
  4. ^ Texas fighter retires after loss in S.A.”. San Antonio Express-News (2015年1月27日). 2015年1月27日閲覧。

関連項目

編集

外部リンク

編集