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三条公泰
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 寛喜3年(1231年
死没 不詳
官位 正二位権中納言
主君 後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇
氏族 藤原氏北家閑院流三条家
父母 父:三条実親、母:西園寺公経の次女
兄弟 公親公泰公隆公緒公朝、公尊、実円、定敒、奝助、深助、教助、公禅、円禅、公愉、女子
実盛[1]実永[2]公雅[3]、実海、公聖、実尊、実顕、忠海、行讃、権大納言局[4]
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三条 公泰(さんじょう きんやす)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿右大臣三条実親の二男。官位正二位権中納言内大臣三条公親の同母弟。息男である三条実盛浅原事件の影響から六波羅探題に捕縛され、のちに釈放された。

経歴編集

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

脚注編集

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  1. ^ 極官は参議
  2. ^ 極官は参議
  3. ^ 極官は権中納言
  4. ^ 後二条天皇宮人
  5. ^ 安嘉門院当年御給。
  6. ^ 安嘉門院大嘗会御給。
  7. ^ 春宮去年御給。
  8. ^ 中宮当年御給。
  9. ^ 解官の理由は明確ではない。ただし、同年11月に亀山天皇が即位していることから、後深草天皇から亀山天皇へ代替わりに当たって何らかの出来事があったのかも知れない。なお、兄公親は当時権大納言右大将であり、その地位に変動はなかった。しかし、兄公親も弘長2年(1262年)1月に内大臣を辞してから薨去するまで、全く官位の昇進がなかった。順調な昇進であった兄弟がそろって辞官後30年間も地位に変化がなかったことになり、これは大覚寺統が皇位にあった時期と重なるのである。
  10. ^ 同年7月に兄公親が薨去する。

参考文献編集