三谷 秀治(みたに ひでじ、1915年8月5日 - 1999年10月20日)は日本政治家。元日本共産党衆議院議員

来歴 編集

鳥取県日野郡溝口町(現・西伯郡伯耆町)出身[1]小学校を卒業後、戦前より日本プロレタリア作家同盟に属し労働運動などに参加。1951年大阪市生野区から大阪府議会議員に立候補し当選、府議を5期務め1972年の衆院選旧大阪4区から出馬し初当選を果たす。当選4回。議員在任中は共産党議員団部落対策委員長などを歴任した。1983年の衆院選には出馬せず引退を表明、地盤を経塚幸夫に譲る。

1999年10月20日、呼吸不全のため奈良県生駒市の自宅で死去。84歳。

政歴 編集

主著 編集

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ 三谷秀治とっとりデジタルコレクション 2022年6月11日閲覧

関連項目 編集