上関町

山口県熊毛郡の町

上関町(かみのせきちょう)は、山口県の南東部にある熊毛郡に属する。

かみのせきちょう ウィキデータを編集
上関町
上関町旗 上関町章
上関町旗 上関町章
日本の旗 日本
地方 中国地方
都道府県 山口県
熊毛郡
市町村コード 35341-8
法人番号 1000020353418 ウィキデータを編集
面積 34.69km2
総人口 1,926[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 55.5人/km2
隣接自治体 柳井市熊毛郡平生町
町の木 びゃくしん
町の花 のじぎく
市の魚
上関町役場
町長 西哲夫
所在地 742-1402
山口県熊毛郡上関町大字長島448番地
北緯33度49分51秒 東経132度06分38秒 / 北緯33.83089度 東経132.11044度 / 33.83089; 132.11044座標: 北緯33度49分51秒 東経132度06分38秒 / 北緯33.83089度 東経132.11044度 / 33.83089; 132.11044
地図
町庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

上関町位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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上関町上盛山からの上関町中心部の展望。手前が長島、奥が室津。
上関町田ノ浦と対岸の祝島
上関城山歴史公園 さくらまつり
長島から見た天田島
上関大橋

地理

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瀬戸内海に面しており、町域は室津半島の先端と長島祝島八島の三島からなる[1]。町の中心部は半島先端部にあたる室津(むろつ)地区、及びその対岸で上関大橋で本土と陸続きになっている長島である[1]。気候は温暖で雨量は少ない[2]

隣接している自治体

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人口

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直近40年で人口が3分の1に落ち込むなど急激な人口減少、高齢化が起きている[3]

 
上関町と全国の年齢別人口分布(2005年) 上関町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 上関町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
上関町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 8,308人
1975年(昭和50年) 7,494人
1980年(昭和55年) 6,773人
1985年(昭和60年) 6,155人
1990年(平成2年) 5,516人
1995年(平成7年) 4,845人
2000年(平成12年) 4,307人
2005年(平成17年) 3,706人
2010年(平成22年) 3,332人
2015年(平成27年) 2,803人
2020年(令和2年) 2,342人
総務省統計局 国勢調査より


地名

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旧上関村は発足時より3大字がある。室津村は大字がなく、編入時に同村域が大字室津となっている。

  • 祝島(旧上関村)
  • 長島(旧上関村)
  • 八島(旧上関村)
  • 室津(旧室津村)

歴史

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かつて瀬戸内海西部には船の荷を検査する番所が設置されていた。現在の山口県に当たる部分においても、都に近いほうから「上関」「中関」「下関」が設置されていた。このうち、「上関」が設置されていたのが当所であったため、この地名がついた。

平安時代から室町中期にかけてはもっぱら「竈戸(かまど)」「竈戸関」と呼ばれた[4]。史料に残される最も古い記録としては、966年(康保3年)の『清胤王書状』に、長島近辺の集落がイカの塩辛を皇室に進納する御厨として記載されている。また、平安後期には風待ちとして記録が残っている。平安末期になると、竈戸は賀茂別雷神社社領となり、1445年(文安2年)の東大寺への年貢船の記録に初めて「上関」の名が現れ、以後多く使われるようになった。

鎌倉時代には地頭が配属されて関所としての機能が強まり、海上交通の要衝となっていった[4]室町時代には大内氏が竈戸関を支配したが、海上勢力の活動も活発であり、竈戸関は倭寇の拠点として海外にも認識されていた[4]。江戸時代に上関天満宮に作られた灯籠の銘文によれば、室町時代に能島村上氏の祖である村上義顕が上関城を築城したとあり、戦国時代には村上水軍と、同盟関係にあった毛利氏の重要な海上拠点のひとつとなっていた[5]江戸時代中期に上関は北前船の風待ち港として全盛期を迎えた[5]。公館である御茶屋、海上保安の御番所、藩営の商業機関である越荷会所など長州藩出先機関が置かれ、富裕な商家の名残が今日にも見られる。明治時代以降、機帆船や蒸気船の登場によって上関町は、寄港地としての役割を終えた。

1969年上関大橋が開通した[6]

1982年、町内に上関原子力発電所を建設する計画が浮上し現在も計画が進行中である。

2022年(令和4年)3月22日には町役場新庁舎での業務が開始された[7]

原子力発電所建設計画

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1982年に当地に中国電力が原子力発電所を建設する計画が浮上し、1988年には町が中国電力に誘致を申し入れた[8]。長島南西部への四代(しだい)地区に建設が予定されている。元々は2012年6月に工事開始、2018年3月に運転開始の予定だったが、2011年3月の東日本大震災によって計画は停止した。

2023年8月、西哲夫町長は、中国電力と関西電力が使用する中間貯蔵施設建設の調査受け入れを表明した[9]

沿革

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旧上関町役場

行政

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町政

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歴代町長

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  • 西哲夫(2022年~現職)
  • 柏原重海(2003年~2022年)
  • 加納簾香(2003年)
  • 片山秀行(1983年~2003年)
  • 加納新(1959年~1963年、1971年~1983年)
  • 中守庄治(1963年~1971年)
  • 嶋末富貴夫(1958年~1959年)[10]

議会

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  • 定員10

警察

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消防

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産業

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2010年現在、町内の産業別就労割合は第一次産業19.3%、第二次産業が19.8%、第三次産業が60.7%となっている[10]

商業

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以下、町内の商業関連施設を示す。

農業

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2010年時点での総農家数は131。自給的農家は89で販売農家42のうち34が専業[10]。野菜、果物の作物別経営対数は温州みかんの38が最も多くなっている[10]

以下に農業関連の施設を示す。

漁業

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2010年の漁業協同組合員数は449人で漁獲高は約3億6800万円。同年、漁獲量が最も高かったのはマアジで140.6t、次いでマダイが66.0t、ハモが50.0tなどとなった[10]

以下漁業関連の施設。

金融機関

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  • 東山口信用金庫上関支店
  • 上関郵便局
  • 上関港郵便局
  • 祝島郵便局
  • 山口県漁業協同組合

教育

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小学校

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中学校

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交通

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道の駅上関海峡

遠隔地への公共交通

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町内には鉄道路線および空港はない。

  • 最寄り空港は岩国錦帯橋空港。町と空港を直接結ぶ公共交通はない。
  • 最寄り鉄道駅はJR山陽本線柳井駅(同駅から約20km)。鉄道駅から当町へ公共交通を利用する場合、柳井駅前からバスを利用するか、柳井港駅前の柳井港から祝島航路を利用することになる。

路線バス

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道路

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航路

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  • 祝島航路
  • 八島航路

著名な出身者

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ゆかりのある人物

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上関町を舞台とする作品

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脚注

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  1. ^ a b 事業継続力強化支援計画”. 山口県. 2023年11月16日閲覧。
  2. ^ 第5次上関町総合計画”. 上関町. 2024年9月30日閲覧。
  3. ^ 生殺し状態からの転換が急務 浮上から40年たつ上関原発計画 問われる町衰退の責任”. 長周新聞 (2022年10月27日). 2022年11月5日閲覧。
  4. ^ a b c 金谷匡人『海賊たちの中世』<歴史文化ライブラリー> 吉川弘文館 1998年、ISBN 4642054561 pp.116-149.
  5. ^ a b 山内譲 『海賊と海城:瀬戸内の戦国史』 <平凡社選書> 平凡社 1997年 ISBN 4582841686 pp.67-78.
  6. ^ 上関町の歴史”. 2022年11月5日閲覧。
  7. ^ 広報かみのせき 2022年4月号”. 上関町. 2024年8月24日閲覧。
  8. ^ 主要経緯 - 中国電力
  9. ^ 「中間貯蔵施設」山口 上関町に建設可能か調査へ 中国電力”. NHK. 2023年8月15日閲覧。
  10. ^ a b c d e 2011 上関町町政要覧”. 上関町. 2022年11月5日閲覧。

参考文献

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  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

外部リンク

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