中三栖
和歌山県田辺市の町丁
中三栖(なかみす)は、和歌山県田辺市の町丁。2020年3月末現在の人口は1,389人[1]。郵便番号は646-0215。
中三栖 | |
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北緯33度44分38秒 東経135度26分14秒 / 北緯33.74389度 東経135.43722度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 和歌山県 |
市町村 | 田辺市 |
人口 | |
• 合計 | 1,389人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
646-0215 |
地理
編集田辺市中心部から東北東、左会津川の中流域にあたる。北で上三栖・上秋津、東で上野・上富田町岡、南および西で下三栖に接する。和歌山県道216号温川田辺線・下三栖の和歌山県道35号上富田南部線方面から当地区を通り上野方面へ伸びる田辺市道(南紀広域農道)の2本の道路が基幹道路となっている。
梅・みかん・すももなどの果樹栽培が盛んな農村地域であるが、近年は宅地化が進行し人口も増加傾向にある。三栖地区の中央部に位置するため、三栖地区を管轄する行政機関や学校などは中三栖に集中している。
山岳
編集- 衣笠山
- 浄土山
河川
編集- 左会津川
- 小川谷川
歴史
編集地名の由来
編集古の時代に熊野権現の御簾領(神領)であったことに由来する。
沿革
編集- 江戸時代~幕末 - 牟婁郡中三栖村が存在。紀伊続風土記によれば石高828石・戸数144戸・人口569人。「旧高旧領取調帳」の記載によると紀州藩附家老安藤氏領。
- 慶応4年1月24日(1868年2月17日) - 安藤氏領が立藩して田辺藩領となる。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により田辺県の管轄となる。
- 明治4年11月22日(1872年1月2日) - 和歌山県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)1月20日 - 所属郡が西牟婁郡に変更。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上三栖村・中三栖村・下三栖村の3村が合併し三栖村を発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 三栖村が上芳養村・中芳養村・秋津川村・上秋津村・長野村と合併して牟婁町が発足。同町の大字となる。
- 1964年(昭和39年)10月15日 - 牟婁町が田辺市に編入。同市の大字となる。
交通
編集バス
編集- 長野線
- 紀伊田辺駅~万呂~三栖~長野~(西原)~伏菟野
道路
編集施設
編集脚注
編集- ^ 田辺市住民基本台帳人口速報, 2022-1-09閲覧。
参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 30 和歌山県
- 旧高旧領取調帳データベース
- 紀伊続風土記