中山 詳一(なかやま しょういち、1889年明治22年)4月6日[1] - 1945年昭和20年)3月20日[2])は、日本外交官。駐イラン公使

経歴

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京都府出身。1913年大正2年)、京都帝国大学法科大学を卒業。1916年大正5年)、外交官及領事官試験に合格し、漢口に領事官補として赴任した。以後、浦塩派遣軍政務部員、ロシア在勤外交官補、外務事務官、通商局第二課勤務、在アメリカ合衆国大使館三等書記官、同二等書記官、牛荘領事・関東庁事務官、外務書記官、亜細亜局第一課長、同第二課長、在英国大使館一等書記官、中華民国公使館一等書記官、同大使館参事官を歴任。1934年(昭和9年)からはイタリア大使館イタリア語版参事官を務めた。1937年(昭和12年)、駐イラン公使に就任した。

親族

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栄典

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脚注

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  1. ^ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
  2. ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、665頁。
  3. ^ 人事興信所編『人事興信録』第9版、1931年、ナ102頁。
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。