中山久四郎
(中村久四郎から転送)
中山久四郎(なかやま きゅうしろう、1874年2月10日-1961年9月7日)は、日本の東洋史学者。学位は、文学博士(東京帝国大学・1925年)。東京高等師範学校教授・東京文理科大学教授を歴任。
経歴 編集
長野県北佐久郡馬瀬口村(現御代田町)出身。長野県尋常中学校、官立第一高等中学校を経て1899年東京帝国大学文科史学科卒業。大学院で東洋史学を研究、ドイツに留学。1905年広島高等師範学校教授、1907年東京高等師範学校教授、1929年東京文理科大学教授。退官後は満州国軍学校に勤務したが帰国し、東京帝国大学、日本大学、駒澤大学、明治大学等で講師を務めた。文部省の教員検定委員、視学委員となり、教育行政にも助力。歴史研究会長として1926年雑誌「歴史教育」を創刊、戦時中は休刊したが、1953年に復刊させた。
親族 編集
父は長野県人中山信太郎。元司法次官の中村弥六は養父。長女二三子は、南洋拓殖社長を務めた下田文一の妻。金融業者で長野県多額納税者の中山禎次郎は兄[1][2]。
著書 編集
共著編 編集
脚注 編集
- ^ 中村久四郞 (男性)人事興信録データベース第8版 [昭和3(1928)年7月](名古屋大学大学院法学研究科)
- ^ 「中山禎次郞 (男性)」人事興信録第8版 [昭和3(1928)年7月](名古屋大学大学院法学研究科)
参考文献 編集
- 「日本人名大辞典」日外アソシエーツ