中村照夫

日本のジャズベーシスト、プロデューサー (1942-)

中村 照夫(なかむら てるお、1942年3月1日 - )は、日本ジャズベーシスト音楽プロデューサー東京都出身。

中村 照夫
生誕 (1942-03-01) 1942年3月1日(82歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
職業 ミュージシャン、音楽プロデューサー
担当楽器 ベース

人物 編集

中村照夫は、1964年からニューヨークで演奏を始めた。1969年には、ロイ・ヘインズのヒップ・アンサンブルに参加する。同じ年、スティーヴ・グロスマンと、レニー・ホワイトと共にトリオで仕事をした。2人は、中村のデビュー作でありリーダー作である1973年のアルバム『ユニコーン』に参加。このアルバムには他にもヒューバート・イーヴスIII世や、アルフォンス・ムゾーンチャールズ・サリヴァンジョージ・ケイブルスら当時のニューヨークの俊英達が参加、その音楽性から後にロンドン発のレア・グルーヴ・シーンで人気アルバムともなり、現在の和ジャズ・シーンへの注目のきっかけともなった。その後、スタンリー・タレンタインのバンドに参加。1976年にグループを抜け、自らのグループ「ライジング・サン」を結成。1976年にリリースしたアルバム『ライジング・サン』、1977年にリリースしたアルバム『マンハッタン・スペシャル』作曲・アレンジは森士郎 shiro mori(日本国内でのタイトルは『ソング・オブ・ザ・バード』)は、『ビルボード』誌をはじめとする業界紙の全米ジャズ・チャートでトップ10に達した[1]

その後も1980年代にはプロデューサーとして活躍、ニューヨークスタイルのラジオ番組Hip Pocketの制作も開始。1990年代以降はザ・ルーツP.M.ドーンらに楽曲がサンプリングされるなど、当時興隆をみせていたクラブシーンでの評価も高まる。

2009年12月より、ポニーキャニオンでチータ・レーベルをスタート。ボブ・ミンツァーオナージェ・アラン・ガムス、スティーヴ・グロスマン、グルーヴ・コレクティヴジェイ・ロドリゲスや、ビル・ウェアのアルバムをニューヨークで制作している。

2011年6月には、レーベルの12枚目となるアルバムとして新曲も収めた初のベスト・アルバム『ホワット・イズ?』をリリース。

ディスコグラフィー 編集

  • ユニコーン(スリー・ブラインド・マイス、1973年)
  • ライジング・サン(ポリドール・レコード、1976年)
  • マンハッタン・スペシャル(ポリドール・レコード、1977年)
  • ライブ・アット・カーネギー・ホール(キャニオン・レコード、1979年)
  • ビッグ・アップル(キャニオン・レコード、1979年)
  • ルート80(キャニオン・レコード、1981年)
  • スーパー・フレンズ (東芝EMI/イーストワールド、1985年)
  • ウィンド・スマイル(ポニーキャニオン、1990年)
  • レッド・シューズ(エイベックス、2001年)
  • ホワット・イズ(ポニーキャニオン、2011年)

脚注 編集

外部リンク 編集