中院光忠

鎌倉時代後期の廷臣。六条有房の二男。正二位・権大納言、弾正尹。贈左大臣。勅撰集『続千載和歌集』『新千載和歌集』に2首入集。

中院 光忠(なかのいん みつただ)は、鎌倉時代末期の公卿村上源氏久我流六条家内大臣六条有房の次男。官位正二位権大納言弾正尹左大臣[1]尹大納言と称された。

経歴編集

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

『徒然草』第102段の光忠編集

この段では、光忠が追難上卿を勤めた際に洞院公賢に公事の次第を尋ね、又五郎に教えを請うてはどうかと公賢から助言を受けたことが書かれている。

光忠は後醍醐天皇派か編集

兄・有忠は後宇多院の意向を受けて後二条天皇の皇子邦良親王を皇嗣として推していたが、親王は嘉暦元年(1326年)に崩じてしまい有忠らは出家するに至った[6]。光忠は六条有房の二男であるが、後醍醐天皇が即位してからの昇進が著しく、弾正尹に任ぜられた上に兄有忠を越えて権大納言にまで任ぜられた。これらのことから、光忠は後醍醐天皇派であったと考えられる。

脚注編集

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  1. ^ 『尊卑分脈』中院光忠の項には贈左大臣と注記があるが、その根拠は不明。
  2. ^ 朔旦。従一位藤原相子の給。
  3. ^ 東二条院御給。
  4. ^ 同日、兄・有忠従三位に叙せられる。
  5. ^ 同年中に正三位に昇叙されたと考えられる。
  6. ^ 『増鏡』第14、「春の別れ」

参考文献編集

  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 元応元年(1319年)に光忠が参議となった時以降の記事。
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「中院光忠」および「六条有房」の項。
  • 新訂『徒然草』 西尾実・安良岡康作校注、岩波文庫
  • 増鏡』全訳注、井上宗雄、講談社学術文庫
  • 本郷和人『中世朝廷訴訟の研究』 東京大学出版会
  • 岡野友彦『中世久我家と久我家領荘園』 続群書類従完成会