乾 純水(いぬい じゅんすい、生年不明 - 1859年安政5年))は、江戸時代後期の儒学者徳島藩士。阿波国出身。

生涯 編集

徳島藩医である乾元享の長男として生まれる。幼名は善水。後に純水と改名。号は桐谷。儒学を父である元享と小原春造に学んだ。1864年文政3年)、小原春造が手掛けていた『阿淡産志』の編算事業を手伝った。1823年文政6年)に本草学における医師学問所を開いた[1]

1859年安政5年)、死去。また著書に1856年安政2年)の『品物考證』がある[2]。墓所は徳島県徳島市南佐古臨江寺[3]

著書 編集

  • 『品物考證』

脚注 編集

  1. ^ 『阿波の医学史』(徳島県敎育会出版部、1970年
  2. ^ 『阿波の蘭学者』(徳島県出版文化協会、1982年
  3. ^ 『明治前日本生物學史』(日本學術振興會、1960年