五島 盛勝(ごとう もりかつ)は、肥前国福江藩4代藩主。五島家24代当主である。

 
五島盛勝
時代 江戸時代前期
生誕 正保2年(1645年
死没 延宝6年2月24日1678年4月15日
改名 吉(幼名)、盛勝
別名 主税(通称)
戒名 羅屋寿休松岩院
墓所 東京都文京区本駒込の吉祥寺
官位 従五位下淡路守侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
肥前福江藩
氏族 五島氏
父母 五島盛次櫛笥隆朝
奥平忠昌四女アキ
盛暢奥平昌章日向正竹盛延
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略歴

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正保2年(1645年)、第3代藩主・五島盛次の長男として生まれる。明暦元年(1655年)に父が死去したため、家督を継いだ。しかし幼少のため、叔父の五島盛清が幕命により後見人となり、さらに3000石を分与して富江領を与えたため、福江藩は1万2000石となった。

万治3年(1660年)、16歳に成長した盛勝は、12月28日に従五位下・淡路守に叙位・任官する。そして、叔父から藩の政治を譲られた。盛勝は奉行制度や諸番役、御船方などの諸制度を整備して藩政の確立に努めた。

寛文6年(1666年)、朝鮮に13年間幽閉されていたオランダ東インド会社ヘンドリック・ハメルら8人が、朝鮮を脱出して五島に到着したが、盛勝はこれを保護し出島に送った。その後ハメルらは無事帰国している。

延宝5年(1677年)12月14日に長男・盛暢に家督を譲って隠居する。翌延宝6年(1678年)2月24日、江戸屋敷で死去した。享年34。

系譜

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父母

正室

子女

脚注

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  1. ^ 奥平昌能の養子。
  2. ^ 旧名は五島盛栄。京都の某女との子。のち旗本の日向正春の養子。正春は元は福江藩士であり、妻は盛次の姉妹。