井沢義明
井沢 義明(井澤 義明[1]、いざわ よしあき、1947年5月27日 - 2014年7月1日)は、北海道出身の元ラグビー選手。
来歴
編集函館北高校2年のときに、野球から転向する形でラグビーを始めた。当初はウィング(WTB)のポジションだったが、早稲田大学2年の時にフランカー(FL)(FL・6番)に転向し、レギュラーの座を掴んだ。そして3年時となる1968年、日本代表に選出され、さらに当時の監督・大西鐡之祐は、同年6月3日にニュージーランドのウェリントンで行われたオールブラックス・ジュニア戦に、ノンキャップだった井沢をいきなりスタメン起用した。結果は、23-19で日本が歴史的勝利を飾ったが、唯一の学生選手が井沢であった。
その後、1969年度の早大主将を務めた後、リコーへと進み、『和製オールブラックス』と称された同チーム黄金時代の一翼を担った。日本代表通算獲得キャップ数は24。
脚注
編集- ^ “歴代函館出身ジャパンリスト”. 函館市ラグビーフットボール協会. 2024年1月9日閲覧。
関連項目
編集参考文献
編集- 第5回 井沢義明氏インタビュー - 桜を背負った男たち - バックナンバー(日本ラグビーフットボール協会、石塚武生の遺稿)
- ラグビー早明戦80年 99ページ(ベースボール・マガジン社)