今井 つる女(いまい つるじょ、1897年6月16日[1] - 1992年8月19日)は、俳人。本名は今井鶴(旧姓・池内)[1]。父は高浜虚子の兄池内政夫で、つる女は虚子の姪にあたる[1]

愛媛県松山市生まれ[1]。生後間もなく一家で上京するも4歳で父と死別し、池内政忠(虚子の長兄)の養女となる[1]。1904年、尋常第一小学校(現 番町小学校)へ入学後、尋常第四小学校(現 東雲小学校)へ編入する[1]。1914年、愛媛県立松山高等女学校(現 愛媛県立松山南高等学校)卒業[1]。今井五郎との結婚を機に上京する[1]1920年頃から句作をはじめ[1]、1928年『ホトトギス』夫人句会に参加する[1]1930年星野立子の『玉藻』創刊に参加[1]1940年「ホトトギス」同人となる[1]1945年愛媛県波止浜町(現今治市)に疎開する[1]1953年愛媛新聞』婦人俳壇の撰者となる[1]1955年に再び上京するが[1]、以後30年にわたって同選者を務める。1987年より日本伝統俳句協会顧問[1]1992年死去[1]、95歳。

句集に『姪の宿』『花野』『かへりみる』など。

娘の今井千鶴子も俳人で『愛媛新聞』婦人俳壇選者を引き継いでいる。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 今井つる女|俳句の聖地「愛媛・松山」吟行ナビえひめ”. www.iyokannet.jp. 愛媛県. 2022年2月16日閲覧。

参考文献

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  • 稲畑汀子 編 『ホトトギスの俳人101』 新書館、2010年、34-35頁

外部リンク

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