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伊達 村敏(だて むらとし)は、江戸時代中期の仙台藩一門第九席・川崎伊達家第2代当主。

 
伊達 村敏
時代 江戸時代
生誕 正徳3年10月16日1713年12月3日
死没 宝暦3年12月14日1754年1月7日
改名 伊達親倫→中村村高→伊達村敏
別名 大次郎、大之助、将監、春敬
戒名 直指院殿得岳徹髄大居士
墓所 龍雲寺(宮城県柴田郡川崎町
主君 伊達綱村吉村
仙台藩
氏族 伊達氏
父母 父:伊達村泰、母:伊与(冷泉為綱の娘)
養父:伊達村詮
兄弟 村緝村敏
正室:伊達村和の娘・律道(伊達村詮養女)
村煕、豊(後藤寿康室)、清(三沢村保室)、広(福原資生室)、久米(大内義門室)、村烈
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生涯編集

正徳3年(1713年)10月16日、岩出山伊達家当主・伊達村泰の二男として生まれる。幼名は大次郎

はじめ親倫(ちかのり)と名乗っていたが、のちに仙台藩主の伊達吉村より「中村」の姓と偏諱(「村」の字)を与えられ中村村高(なかむら むらたか)と名乗る。享保16年(1731年)、跡取りの居なかった義兄の川崎伊達家当主・村詮の隠居にともない、養子に迎えられて家督を相続し、村敏(むらとし)と名乗る。

寛延4年(1751年)に、天文学者佐竹義根の門弟として戸板保佑らと共に、にない日食の推算を行っている。

村敏は涌谷伊達家第3代当主・宗元の孫にあたることから、男子がいなかった伊達村胤から、姪の順に準一家・高泉家から婿養子を迎えて家督を相続させる案について相談を受けたが、村敏は家格の釣り合いがとれないとしてこの案に強く反対し、伊達宗家から養子を迎えるべきと主張した。結局、高泉家からの入嗣案は沙汰止みとなり、藩主伊達宗村の四男の村倫が涌谷家に入った。

宝暦3年(1753年)12月14日死去。享年41。嫡男の村煕が家督を相続した。

系譜編集

参考文献編集

  • 『川崎町史』(宮城県柴田郡川崎町)
    • 史料編(1972年)
    • 通史編(1975年)
先代:
伊達村詮
川崎伊達家
第2代:1731年 - 1753年
次代:
伊達村煕