休みの国(やすみのくに)は、1969年から活動していた高橋照幸(1948年3月10日静岡県浜松市生まれ[1]2016年逝去[2])を中心とした音楽バンド

活動の記録編集

  • 1969年3月 - 和光大学に在籍していた高橋照幸が、寮で相部屋だった谷野ひとしを介して親交があったジャックスの合宿に運転手として参加し、練習の合間に自作の歌を録音する。そのときのバック演奏は早川義夫を除く、当時のジャックスのメンバー(活動末期のため、つのだ☆ひろがドラムを担当している)。
  • 1969年6月 - デビューアルバム『休みの国』をアングラ・レコード・クラブ (URC) レコードよりリリース。
  • 1977年6月 - 「悪魔巣取金愚」が自主制作映画『特攻任侠自衛隊』主題歌に使用される。後年、この映画を観た平野耕太の漫画作品『HELLSING』に歌詞を引用され、大槻ケンヂキノコホテルにカバーされるなど、カルト的な人気を博した。

ディスコグラフィー編集

  • 休みの国(1969年、限定盤)
    • 片面に「岡林信康リサイタル」を収録したURCレコードの会員第3回配布として発表。2019年現在までオリジナルの形では再発売されていない。
  • 追放の歌(1969年、シングル)
    • B面、「楽しいさすらい人」。
  • 休みの国(1972年)
    • 第5氷河期 / マザー / Union Strip / ドクター・クークー / Let’s Drop Dead / マリー・ジェーン / 飛べないフクロウ / 朝のダウンタウン / 楽しいさすらい人 / 悪魔巣取金愚 / 旅するおばさん / 追放の歌
    • 2ndアルバム『FYFAN』の完成後に日本を離れた高橋に無断でURCの秦社長によって制作されたアルバム。
    • オリジナルの1stである『休みの国』が会員配布用の限定版で、入手困難になっていたことと、片面に岡林信康の楽曲を収録していたため、そのままの形態では再発しにくいこともあり、発売予定だった『FYFAN』をお蔵入りにして発売された編集盤。2002年にデジタルリマスタリングされ、URC復刻シリーズで再版されている(IOCD-40023)。
  • FYFAN(1972年)
    • 上記のアルバムが、URCレコードの独断で発売されたことにより、ジャケットまで完成していたにも関わらずお蔵入りとなった。1990年、ようやく完全な形で発売。
  • TOCHIKA(1978年)
    • フラリフラフラ / 半分大佐の歌 / 夕焼け地帯 / 夏の日 / オレはのら犬 / おまえの頭の上 / オールライト
    • オリジナルは「高橋照幸」名義だが、CD再発時に「休みの国」名義に変更。
  • MID-WAY(1981年)
    • オリジナルは「高橋照幸」名義だが、CD再発時に「休みの国」名義に変更。
  • Quarter(1981年、シングル)
    • B面、「52番目の悪魔」。
    • Quarterはアルバムとは別のシングル・バージョンで未CD化。
  • FYFAN(1988年)
    • 編集盤『休みの国』に収録されなかった『FYFAN』の楽曲を収めたもの。片面には「休みの国日仏会館コンサート1974」を収録。LPレコード限定リリース。
  • FREEGREEN(1991年)
    • 初のCDによるリリース。久し振りの「休みの国」名義。本作の発売に伴い、オリジナル盤の『休みの国』、『FYFAN』、『TOCHIKA』、『MID-WAY』もCD化された。
  • 休みの国 LIVE in クワトロ(1991年、ライブビデオ)

2005年頃、回転ねこレーベルより、新譜リリースの告知がなされたが結局発売されず。告知もいつの間にか消滅した。

以上のアルバムはすべて入手困難だが、現在は『追放の歌』と1972年版の『休みの国』が、ストリーミング配信MP3で販売されている。

脚注編集

  1. ^ 高橋照幸「トーチカ」(1977.12 ミュージック・ミッション UO-778)”. すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック (2010年3月31日). 2016年7月13日閲覧。
  2. ^ @offnote_info”. オフノート (2016年2月15日). 2016年7月13日閲覧。

外部リンク編集