佐久間 国三郎(さくま くにざぶろう、1845年弘化2年10月[1][2]) - 1915年大正4年)4月8日[2])は、明治時代の政治家衆議院議員岐阜県会議長。

経歴 編集

美濃国安八郡、のちの岐阜県安八郡蛇池村(海西郡蛇池村、海津郡蛇池村、海西村平田町を経て現海津市)に生まれる[1]。角田俊作に漢学を学ぶ[1]

海西村戸長を経て[2]1879年(明治12年)同村会議員に当選[1]。ほか、水利土工会議員、同議長、所得税調査委員、組合村長を歴任した[1]

1882年(明治15年)2月、岐阜県会議員に当選し、同年10月、常置委員に推され、1885年(明治18年)3月、県会副議長[1]、のち同議長を歴任した[2]

1898年(明治31年)8月の第6回衆議院議員総選挙では岐阜県第3区から出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 山崎 1901, 485頁.
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 204頁.
  3. ^ 人事興信所 1915, む2頁.

参考文献 編集