佐藤 律子(さとう りつこ、1952年昭和27年〉[1] - )は、日本作家大分県出身、大分県立別府青山高等学校卒業[1]。童話執筆時には「よもぎ 律子」のペンネームを用いている[2]

佐藤 律子
(さとう りつこ)
ペンネーム よもぎ 律子(童話執筆時)
誕生 1952年
日本の旗 日本大分県
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1993年 -
ジャンル 児童文学絵本ノンフィクション
主題 小児がんや病気に関するノンフィクション、地元を舞台とした児童文学など
代表作種まく子供たち 小児ガンを体験した七人の物語』、『空への手紙 雲のむこうにいるあなたへ』、『けいこ先生のほけんしつ』、他
主な受賞歴 カネテツデリカフーズ主催 海の童話大賞 海の親賞(1993年)、第14回カネボウ・ミセス童話大賞(1994年)
東北電力 夢見る子供童話大賞(1994年)、第43回毎日児童小説優秀賞(1994年)、橋本市文化賞(2001年)
デビュー作 『シーラカンスのうろこ』
公式サイト 種まく子供たち
ウィキポータル 文学
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経歴 編集

結婚後に和歌山県橋本市へ転居し、子供たちが親離れを始めたころから作家活動を始め、絵本児童文学などを著す。1993年平成5年)、読売新聞紙上の童話募集に応募した『シーラカンスのうろこ』で「海の親賞」を受賞。続いて『遊太』で東北電力「夢見る子供童話大賞パート2」大賞、『けいこ先生のほけんしつ』で第14回カネボウ・ミセス童話大賞大賞、『おーい夢』で第43回毎日児童小説優秀賞を受賞する[3][4]。橋本市名誉市民である数学者・岡潔を綴った絵本『岡潔博士ってだぁーれ?』の執筆など、第2の故郷ともいえる橋本市への関心も深い[4]2001年(平成13年)には橋本市文化賞を受賞する[5]

一方では16歳の次男を小児がんで失った経験から、同様に小児がんを経験した子供たちの闘病記を綴った『種まく子供たち 小児ガンを体験した七人の物語』を2001年平成13年)に出版し、2003年(平成15年)までに35万部を売り上げる[2]。これをきっかけとして、子供と死別した親たちに向けての書籍『いのちの灯台[6]』『大切なあなたへ[7]』『よもぎリーフ1 大切なあなたへ』などの出版や[8]、そうした親たちが学校などで体験を語るネットワーク「いのちの語り手登録バンク」の主催といった活動を続けている[6]。また『種まく子供たち』の出版以来、日本全国から相次ぐ講演依頼に応え、年に10回程度、日本全国の学校や病院などでの講演で、命の大切さや生きる喜びなどを伝えている[6][9]

脚注 編集

  1. ^ a b よもぎ律子”. スカラベ人名事典. 九州大学附属図書館 (2014年4月18日). 2016年7月16日閲覧。
  2. ^ a b “子どもを亡くした親へメッセージ集 作家佐藤さん自費出版”. 朝日新聞 和歌山朝刊 (朝日新聞社): p. 29. (2003年2月20日) 
  3. ^ 佐藤律子・略歴”. 種まく子供たち. 2016年7月16日閲覧。
  4. ^ a b 曽我一豊 (2011年3月11日). “子どもを病気で亡くし悲しむ親御さんを勇気付ける 童話作家・佐藤律子さん”. 橋本新聞 (橋本新聞社). http://hashimoto-news.com/special/special01/2011/03/11/652/ 2016年7月16日閲覧。 
  5. ^ 上鶴弘志 (2001年11月9日). “橋本市文化賞 童話作家・佐藤律子さんと郷土史家・北山直大さんが受賞”. 毎日新聞 和歌山朝刊 (毎日新聞社): p. 23 
  6. ^ a b c 光田美彦 (2007年11月19日). “亡き子、家族の灯台 次男をがんで失った橋本の作家・佐藤律子さん出版”. 朝日新聞 和歌山朝刊: p. 28 
  7. ^ “わが子を亡くした親に贈る絵本出版 和歌山の児童文学者ら”. 産経新聞 大阪朝刊 (産業経済新聞社): p. 29. (2002年8月11日) 
  8. ^ “小児がん征圧キャンペーン 小児がんの子どもらを救おう 笑顔、広がった”. 毎日新聞 東京朝刊 (毎日新聞社): p. 24. (2002年9月14日) 
  9. ^ “「命を大切に」次男を小児がんで亡くした佐藤さん、橋本で講演”. 朝日新聞 和歌山朝刊: p. 32. (2007年8月30日)