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佐藤百太郎

佐藤 百太郎(さとう ももたろう、1853年嘉永6年) - 1910年明治43年)12月24日)は、日本の実業家で日米貿易の先駆者。

明治4年(1871年岩倉使節団一行の通訳としても活躍した。日本における百貨店の創始者でもあり、日本領事をも務めた。藍綬褒章受章。

経歴編集

1853年嘉永6年)、下総国佐倉(現在の千葉県佐倉市の本町)に順天堂二代目佐藤尚中の長男として生まれる。成徳館(現在の千葉県立佐倉高等学校の前身)を経て、元治元年には横浜ヘボン塾(現在の明治学院高校の前身)で米国長老派教会系医療伝道の宣教師ヘボン夫人から英語を学ぶ。1867年慶応3年)、私費でサンフランシスコへ赴く。1871年(明治4年)に一度帰国するが、すぐに明治政府からの官費により、ボストン技術学校(現在のマサチューセッツ工科大学)で経済学などを学ぶ。ニューヨークに「日本米国両商組合会社」を設立して雑貨等の販売に従事[1]。また1875年には狭山茶ニューヨーク輸出、その翌年には佐倉茶を輸出。1875年(明治8年)に一時帰国して、自店で米国商法を学ぶ商業実習生を募集し、森村豊(森村組)、新井領一郎、伊達忠七(三井物産)、鈴木東一郎(丸善)、増田林三郎(狭山茶)を連れ米国に戻る。1876年(明治9年)、ニューヨークで森村豊と共に「日の出商会」を設立して雑貨商を営み、森村豊の兄森村市左衛門が日本から骨董品や陶器・提灯などを仕入れて送った(1877年に佐藤が雑貨の卸売りに失敗して多額の借金を負ったことから、森村は日の出商会を辞めて1878年に独立)[2][3]。また新井領一郎とは「佐藤新井組」を共同経営して生糸貿易に着手。帰国後は大蔵省出仕。1910年、57歳で没。京都伏見桃山善光寺に葬られる。

 
森村豊。共同で日の出商会を立ち上げる

著書編集

編著編集

関連文献編集

出典編集

  1. ^ 星野家文書と星野長太郎富澤一弘、高崎経済大学論集 第44巻第3号 2001
  2. ^ 森村豊の渡米③ 「日の出商会」の一角からのスタート森村商事
  3. ^ 『愛知大学経済論集』第 142~147 号 - 53 ページ

関連項目編集