倉垣翼
倉垣 翼(くらがき つばさ、1975年12月7日 - )は、日本の女子プロレスラー。本名及び旧リングネームは倉垣 靖子(くらがき やすこ)[1]。千葉県鎌ケ谷市出身。身長162cm、体重79kg。血液型O型。剣道二段[1]。
倉垣 翼 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 倉垣 翼 |
本名 | 倉垣 靖子 |
ニックネーム | ルナウイング |
身長 | 162cm |
体重 | 79kg |
誕生日 | 1975年12月7日(48歳) |
出身地 | 千葉県鎌ケ谷市 |
所属 | フリー |
スポーツ歴 | 剣道 |
デビュー | 1995年 |
所属
編集- JWP女子プロレス(1995年)
- JWP女子プロレス(1998年 - 2002年)
- フリーランス(2002年 - 2003年)
- JWP女子プロレス(2003年 - 2013年)
- フリーランス(2013年 - )
経歴・戦歴
編集- 1995年
- 1月8日、東京・後楽園ホールにおいて、対小林智美戦で本名でデビュー、10分時間切れドロー[1]。後にJWP四天王と呼ばれる日向あずみ(当時久住智子)、輝優優(同宮口知子)、カルロス天野(同天野理恵子)、美咲華菜(同本谷香名子)と同期であった。しかし、数ヶ月で引退。
- 1998年
- 1999年
- リングネームを「倉垣翼」とする。
- 2002年
- 11月、JWP退団。以降はフリーとしてリングネームを「倉垣ツバサ」に改め、シャーク土屋と「猛毒隊」を結成。JWPの他にKAIENTAI-DOJOなどに参戦。メキシコにも遠征した。
- 2003年
- 8月、猛毒隊解散。JWPに復帰する。
- 2006年
- 2010年
- 10月24日、東京・シアター1010大会において、男子レスラーの石川修司と対戦。14分58秒、スプラッシュマウンテンを受け敗北。この試合は米山香織がJWP所属選手に影響を与えていた「米山革命」が起因となっており、JWP全体で女子プロレスの活性化を図る動きが盛んになっていた。
- 2013年
- 8月22日、自身の15周年興行となる10月14日新宿FACE大会をもってJWPを退団し、今後はフリーとして活動していくことを発表[2]。
- 10月14日、所属最後の試合として春山とシングル。
- 2014年
- OZアカデミー、仙女、YMZ、世界プロレス協会などに参戦中。またYMZに関してはレギュラーメンバーである。
- 7月20日、退団後初めてJWPに参戦。阿部幸江の引退ロードとして春山香代子とのタッグ春倉でザ☆WANTED!?と対戦。
- 8月10日、スターダム参戦。YMZレギュラーメンバーの米山香織・初日の出仮面のトモダチメイニアでアーティスト・オブ・スターダム王座に挑戦し勝利。
- 10月13日、OZアカデミーでAKINOの持つOZアカデミー無差別級王座に挑戦して勝利。AKINOの長期政権を破りフリー転向後初のシングルのベルトを奪取する。
- 2015年
- 春山香代子の引退に伴い春山引退時までJWPに参戦。また春山の引退試合の対戦相手にもなる。同試合後もJWPには定期参戦している。
得意技
編集- アルゼンチン・バックブリーカー
- 通常一人担ぐが二段重ねで二人、最大三段重ねで3人を補助無くコーナーで担いでリング中央まで運び投げた事も複数回あった。
- ファイアーバード・スプラッシュ
- ウイングクラッチ・ホールド
- 逆さ押さえ込みから前方へブリッジする。
- メタル・ウイング
- Gammaが使うブリッツェンと同型の技。相手を両腕で頭上高く差し上げ(ハイジャック・バックブリーカーの体勢)、半回転させつつ前方に叩きつける。雪崩式やランニング式もある。
- ルナ・ウイング
- ムーンサルトに半捻りを加えてセントーン。バルキリースプラッシュと同型。
- ハンマーウィング
- 両腕を揃えての裏拳
- ムーンサルトプレス
- ハヤブサ直伝ファルコンアロー
タイトル歴
編集入場テーマ曲
編集- 「LOVE GOD WING」(SHAKE IN PARADAISE)
脚注
編集- ^ a b c 『Lady'sゴング』1998年12月16日号、p36。
- ^ 倉垣が退団発表、勝が華名の王座に挑戦/JWP記者会見女子プロレス専門誌『RING STARS』2013年8月22日
外部リンク
編集- 倉垣翼「いくぞー!ファイアー!」┗(^○^)┛ - Ameba Blog
- 倉垣翼 (@tsubasa1207) - X(旧Twitter)
- JWP女子プロレス
- OZアカデミー選手紹介 倉垣翼