備瀬 善勝(びせ よしかつ、1939年 - )は、日本作詞家音楽プロデューサーで、沖縄市キャンパスレコードの経営者[1][2][3]。「ビセカツ」の愛称で知られ[4]、「沖縄歌謡史の生字引的存在」と評されている[3]屋号は「備瀬屋」[3]

経歴 編集

那覇市西新町生まれ[5]

サラリーマンとなるが、音楽への関心も強く、普久原恒勇の事務所に出入りし[5]、20代末から作詞家としての活動を始め[2]、普久原や知名定男などに詞を提供するようになった[4]

1970年に、竹中労が沖縄に持ち込んだアングラ・レコードを販売するため、当時のコザ市キャンパスレコードを創業し、アングラ・レコードや島唄のレコードを販売をはじめたが、この時点では店は妻に任せて自分はまだサラリーマンを続けていた[5]1973年には店舗を現在地へ移転し、サラリーマンも辞めて事業に専念するようになった[5]。やがて1975年からは音楽プロデューサーとしても活動し、数多くの島唄レコード制作も手がけるようになる[4][5]。最初に制作を手がけたのは、沖縄フォークのコンピレーション・アルバム『KOZA ʻ75』であった[5]

1981年には、金城実の支援を受け、BCYンナルフォンレーベルを立ち上げた[3]

2014年に、沖縄市の音楽資料館「おんがく村」が開設された際には、その館長となった[3][6]

2018年には、「沖縄市を拠点に、島唄、沖縄歌謡の名作を生むに留まらず、後継の音楽家を育てた」などとして、普久原恒勇とともに第5回JASRAC音楽文化賞を受賞した[1][2]

脚注 編集

  1. ^ a b 第5回JASRAC音楽文化賞”. JASRAC. 2022年10月1日閲覧。
  2. ^ a b c JASRAC音楽文化賞 沖縄音楽支えた2人が受賞”. 琉球朝日放送 (2018年11月20日). 2022年10月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e 備瀬 善勝”. おんがく村. 2022年10月1日閲覧。
  4. ^ a b c コザの民謡創成期をビセカツさんに聞きました。”. 沖縄市. 2022年10月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e f キャンパスレコード45周年アルバム”. HMV / Lawson Entertainment, Inc. (2015年10月28日). 2022年10月2日閲覧。
  6. ^ おんがく村について”. おんがく村. 2022年10月1日閲覧。

外部リンク 編集