催眠(さいみん、: hypnosis)とは、暗示を受けやすい変性意識状態のひとつをいう。また、その状態(催眠状態)、およびその状態に導く技術(催眠法)を指す場合がある。催眠術(さいみんじゅつ、: hypnotism)とも呼ばれる。

Photographic Studies in Hypnosis, Abnormal Psychology (1938)

性質編集

意識の構成には「清明度」、「質的」、「広がり」の3つの要素が存在する。「清明度」の低下は一般に意識障害を、「質的」の変化(意識変容)はせん妄や朦朧(もうろう)等を指し、「広がり」が低下した状態(意識の狭窄)を催眠状態と呼ぶ。別の観点からいえば、人間の意識は9割を占める非論理的な潜在意識と、覚醒時に論理的に思考する顕在意識とで構成されているが、催眠とは、意識レベルを批判能力を除外する潜在意識レベルに誘導することであるといえる。

催眠による現象編集

催眠状態といえば特別な状態に聞こえるが、電車の中でうたた寝をしている状態に近く、誰しもが入る事の出来る現象である。

催眠状態では意識が狭窄しているので、外界からの刺激や他の概念が意識から締め出され1つの事象が意識を占領することによって、暗示のままに動かされる。この暗示によって様々な幻覚が作り出されてくる。また、潜在意識に働きかけて対人恐怖症あがり症等を治療する。数学嫌いと同様に、たわいもない事象がきっかけでこれらの症状が発症することが多いからである。

しかし催眠状態というような特別な状態がはっきりと存在している訳ではない。

催眠法は、心理的な悩みを改善する目的で行われる催眠療法: hypnotherapyヒプノセラピー)と娯楽を目的に行われる舞台催眠: stage hypnosisショー催眠)とに大別される。

催眠を医療に用いる試みもアメリカでは積極的に行われているが、日本では積極的な医療機関は限られている。一般的には、まず薬物療法など他の治療法を十分に試みた上で、適用可否の判断を含めて、訓練を受けた専門家により行われるべきである、とアメリカではされている。

俗にいう催眠商法は、催眠と呼称されているが舞台催眠的な方法で物を買わせるのではなく、初めに1つの部屋に大勢の人が入れられ、早いもの順に競わせるようにして品物をただ同然であげるといい、そして最後にその条件反射を利用して安い布団などを高値で買わせるといった心理学全体の技術を応用した詐欺である。

催眠術という呼称編集

18世紀の医師フランツ・アントン・メスメルは動物磁気療法を考案した。メスメルは人間や動物の体を動かす磁気力「動物磁気」(animal magnetism) があると考え[1]、動物磁気は磁気を帯びた流体であり、電気や引力のような物理的な力であるとした[2]。メスメルは動物磁気の不均衡によって病気になると考え、これを操作して病気を治療しようと試みた[1](治療方法はフランツ・アントン・メスメル#治療の手順を参照)。動物磁気療法はメスメリズムと呼ばれるようになったが、これは19世紀のイギリス医師ジェイムズ・ブレイドの造語だとされる。メスメリズムの治療から発展した科学的技術をヒプノシス(催眠)という。

現代の催眠に携わる人の間では「催眠は魔術的なものではなく科学であるから、催眠術ではなく催眠・催眠法という表現を使うべき」という主張もある[3]

催眠研究の歴史編集

イギリスの医師ジェイムズ・ブレイド(James Braid, 1975-1860)は、メスメル以後の治療を技法(言葉、パスという身振り、接触)と道具立て(バケツ、奇抜な衣装、暗い部屋、音楽、熱狂)、治癒対象(麻痺や失神を伴うヒステリー)に分類した。彼は凝視法により、被験者を催眠へ誘導した。これは被験者に一点を見つめるように指示をすることで、術者の声へ集中させ、術者の暗示を受け入れやすくする方法である。つまり、動物磁気を使わずに催眠状態が生じることを実証したのである。また、視覚障碍者にも凝視法の暗示を用いて催眠へ誘導し、これにより催眠が心理現象であることを示した[4] 彼は、暗示により神経系の眠りを引き起こすと考え、1843年に催眠(ヒプノシスまたはピプノチズム)と名付けた[5]

精神医学者のジャン=マルタン・シャルコー(J. M. Charcot, 1825-1893, フランス)は、ブレイドの研究を読んで、催眠に関心を持った。19世紀後半は、ヒステリー(英:hysteria)が医学的に最大の関心事であったためである。ヒステリーは、ラテン語のヒュステラ(husterā、子宮)から派生した言葉で、当時は女性だけがなるものと思われており、失神、麻痺、けいれん、拒食など重い症状を示すものだった。 シャルコーは、1861年からパリにあるサルペトリエール病院の院長を務めた。彼は患者を見つめることでヒステリーを生じさせ、それを消した。症状の発生と消滅という医学的成果を成し遂げたのである。シャルコーは病院の講堂で実演を公開したが、発表会には流行病の治療法を見るために、医者だけでなく、貴族や新聞記者、小説家たちも駆けつけた。研究発表なので、シャルコーはシルクハットに燕尾服という正装をして現れた。会場に連れてこられた患者をシャルコーが見つめると、患者はヒステリーを起こした。ここからシャルコーは、ヒステリーが暗示によって引き起こされるのではなく、人間の生理学的構造そのものに由来する[6]と考えた。

サルペトリエール病院は女性の精神障害、政治犯、犯罪者、売春婦を収容する病院で、患者数4000人に医師は10人で、治癒率は10%以下だった。病院という名の収容所であった。現在の視点から言えば、患者は突然、みすぼらしい姿のまま病院の講堂に連れてこられて、立派な服装をした大勢の人の前に立たされ、会ったこともない病院長に見つめられたのである。患者はパニックを起こしたと考えられる[7]。彼の姿やしぐさは、後に吸血鬼ドラキュラや「邪眼(evil eye)」による隷属をテーマにした小説に影響を与えた。

アンブロワーズ=オーギュスト・リエボー(Ambroise-Auguste Liébeault, 1823-1904)は、フランスのナンシー地方の開業医であった。彼は、男性も女性も、若者も高齢者も、農民にも貴族にもヒステリーなどの催眠治療を行わなければならず、数千人を治療した。そこから催眠は言語暗示だけでかかり、催眠中の動作や記憶の再生は、すべて患者本人が行っていることを示した。催眠はヒステリー以外の心の病にも有効であることを示した。ナンシー学派と言われている。現代の催眠研究の基本的立場である。

1880年ごろ、ウイーンの医師ヨーゼフ・ブロイアー(Josef Breuer,1842-1925、オーストリア)は、催眠は症状の消滅だけでなく、年齢退行によって症状の原因を探ることができることを示した。

精神分析のジークムント・フロイト(Sigmund. Freud, 1856-1939、オーストリア)は、シャルコーのもとで催眠を学び、ナンシーで催眠による一般人向け治療技法を学んだ。その後、ブロイアーと症状の原因を探る共同研究をした。彼は、後催眠暗示を見て無意識という概念を編み出した。年齢退行からは、退行という概念を作った。また、原因となる記憶を思い出せば、症状がなくなる現象をカタルシス浄化)と名付けた。さらに、催眠状態に誘導しても症状の原因を思い出すことが難しい例があることから抑圧という概念を生み出した。そのような患者に対しては、ナンシー学派のベルネイム, H. を参考にして、覚醒状態で患者の心に浮かんだことを自由に述べさせた。これを自由連想法と名づけた。その後、催眠を用いて記憶を解放する方法を止め、覚醒状態で分析をする精神分析を打ち立てた。

第1次、第2次世界大戦は、無感動、衝動的攻撃行動、麻痺、健忘など戦争神経症(war neurosis)の兵士を大量に生み出した。催眠療法が兵士の症状除去、記憶回復に使われ、短期的には症状除去できたと言われている。これが第二次世界大戦後の催眠研究の隆盛に影響を与えることになった。 この時期、ベルリン大学のヨハネス・ハインリヒ・シュルツ(J.H. Schultz)は、自己暗示を組織化した自律訓練法を提唱した(1932)。リラクゼーション法として現在でも使われている。 森田正馬(もりた・まさたか, 1874〜1938)も当初、催眠暗示療法を試みたが、その効果に疑問を抱き、神経症、不安障害を対象とする森田療法を創始した(1919年)。

第二次世界大戦後の日本の催眠研究

1946年、アメリカ教育使節団の一員としてスタンフォード大学心理学部長のアーネスト・ヒルガード(Ernest R. Hilgard, 1904-2001)が来日し、催眠とプログラム学習を紹介した。アメリカ教育使節団は、社会科の創設、男女共学、6・3・3制、PTAの導入など戦後教育に大きな影響を与えている。彼が紹介したプログラム学習は、漢字ドリルや計算ドリルとして教育界へ広がり、定着している。 ヒルガードの著書は、世界的に有名な心理学の教科書であり、日本でも「ヒルガードの心理学」(金剛出版)として長年出版されている[8]。催眠の導入や催眠の状態の説明、運動制御・記憶・後催眠健忘などが解説されている。彼は催眠感受性の測定を大規模に行い、533人の測定結果も掲載されている。

成瀬悟策(1924-2019、東京教育大学、九州大学)は、知覚心理学の小保内虎夫(1899—1968)指導の下で後催眠状態における心象研究を行っていた。アメリカにおける催眠研究の隆盛を受けて、催眠の技法、理論の紹介、治療へ応用を始めた[9]。成瀬が多数の研究者に催眠を教えたおかげで、睡眠やと催眠状態との関連に関する脳波研究や催眠状態と瞑想に関するの研究、年齢退行を用いた記憶研究などが行われた。教育では、集中力を高めることで学習の促進を試みたり、児童のあがり、赤面、食べ物の好き嫌いへの対処などで催眠が使用されたりした。特別支援教育では、脳性マヒ児のリハビリテーション時の痛みを軽減するために利用された。

当初、医療の分野では、痛みや出血を抑えるために導入されたが、麻酔技術の進歩にともなって催眠の利用は廃れていった。睡眠研究では、睡眠に4段階あり、さらにREM期もあることが分かり、催眠や瞑想との関連を明確にできないままになっている。教育の分野では、催眠をかける手間が課題となり使われなくなっていった。リハビリテーションの分野では、早期発見・早期治療が進み、筋肉が萎縮する前にリハビリテーションを行うようになったため、無痛を求める必要がなくなった。

催眠は、臨床心理学や医学の一部で研究されており、援助法の一つとして取り上げている心理学の教科書もある[10]。また、教育の分野では、教師の指示が明示(明確な指示)から暗示へ変化している。指示の変化と児童・生徒の自主性との関連や教員養成における明示と暗示の教育が必要になっている。

催眠術の流行編集

日本においては、明治末期から大正時代にかけて催眠術が大流行し、催眠術を応用した精神療法や身体鍛練法などを唱える者が多数現れた。それらは医学関係者から霊術師まで多岐にわたり、福来友吉田中守平などがいた。書物も多数出版され、「催眠」と明記した書籍だけでもこの時期だけで400冊以上が出版されている[11]。その流行ぶりに、風俗撹乱の恐れから、1908年に発布された警察犯処罰令(1948年に廃止)には「みだりに催眠術を施した者」という一項が入れられていた[12]。プロの催眠術師たちは、看板を「霊術」「精神療法」「心理療法」などと書き換え当局の追及をかわした[13]。霊術は昭和期には最盛期を迎え、1930年には霊術家は3万人であったという[13]。明治政府に禁止された修験道など日本の呪術文化と融合した霊術は、手技療法などの療術と併用され、通常医療の足りない面を補い黙認されていたが、その山師的側面から規制の対象となった[13]。また霊術は現在の新宗教のルーツの一つでもある[13]。霊術は、戦後GHQに禁止されたことで死語になり、おおよそ終焉をむかえた[13]フランツ・アントン・メスメル(1734年 - 1815年)によるメスメリズム(動物磁気療法)は催眠術のもとになった療法だが、近代日本で催眠術と混同されていた[14]

脚注編集

  1. ^ a b P.B.シェリーの作品に見られるメスメリズムについて 望月健一 富山短期大学紀要 47, 69-91, 2012-03-08
  2. ^ 吉村正和 『心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代』河出書房新社、2010年
  3. ^ 武藤安隆 『図解雑学 催眠』ナツメ社、2001年、62頁。ISBN 978-4816330803
  4. ^ ポール・ショシャール著、吉岡修一郎、新福尚武訳『催眠と暗示』改訂新版、白水社、1970、p.57
  5. ^ ギブスンH. B., 著、林茂男訳『催眠の科学と神話』、誠信書房、1982、iii、日本の読者へのメッセージ
  6. ^ S.フロイド著、freudiana 2.0 訳「H・ベルネーム著『暗示とその治療効果』への訳者序文」(1888年)、外部サイトのためリンク削除、2020年10月03日閲覧 
  7. ^ 鈴木昌「フロイト以後① 見る者・見られる者」『読書人の雑誌 本』、1、46-52、 講談社、1991
  8. ^ スーザン・ノーレン・ホークセマ、バーバラ・フレデリックソン、ジェフ・ロフタス、クリステル・ルッツ著、内田一成訳 『ヒルガードの心理学』、第16版、 金剛出版、2015、isbn= 978-4772414388
  9. ^ 成瀬悟策『催眠面接法』誠信書房、1959
  10. ^ 野島一彦編著『臨床心理学への招待』、第2版、4章2節4項「催眠・自律訓練法」、ミネルヴァ書房、2020年
  11. ^ 「催眠」近代デジタルライブラリー
  12. ^ 『日用法律事件百般鑑定顧問 : 自問自答』武知弥三郎 (二松堂, 1910)
  13. ^ a b c d e 井村宏次 『霊術家の黄金時代』 ビイング・ネット・プレス、2014年
  14. ^ 立川武蔵 『癒しと救い: アジアの宗教的伝統に学ぶ』玉川大学出版部, 2001

関連項目編集

日本の業界団体

外部リンク編集