元良親王

日本の平安時代の皇族、歌人

元良親王(もとよししんのう、寛平2年(890年) - 天慶6年7月26日943年8月29日))は、平安時代前期から中期にかけての皇族歌人陽成天皇の第一皇子。官位三品兵部卿

元良親王
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元良親王(百人一首より)
続柄 陽成天皇第一皇子

全名 元良(もとよし)
身位 三品・親王
出生 寛平2年(890年
死去 天慶6年7月26日943年8月29日
配偶者 藤原邦隆
  修子内親王醍醐天皇皇女)
  誨子内親王宇多天皇皇女)
子女 佐材王、佐時王、佐頼王、佐兼王、源佐芸、源佐平、源佐親 他
父親 陽成天皇
母親 藤原遠長女
役職 兵部卿
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経歴編集

父・陽成天皇譲位後に生まれる。延喜3年(903年)及び延喜7年(907年)当年巡給により年給を賜る。延長7年(929年)10月に彼の四十の算賀に際して妻の修子内親王は紀貫之屏風歌を作らせた。承平6年(936年)3月には右大臣藤原仲平らともに醍醐寺に塔の心柱を施入した。天慶6年(943年)7月26日薨去享年54。

人物編集

色好みの風流人として知られ『大和物語』や『今昔物語集』に逸話が残るが、特に宇多院妃の藤原褒子との恋愛が知られる。また、よく通る美しい声をしており、元日の奏賀の声は非常にすばらしく、大極殿から鳥羽の作道までその声が聞こえたという[1]

後撰和歌集』(7首)以下の勅撰和歌集和歌作品20首が入集[2]。『元良親王集』という歌集も後世になって作られた。『小倉百人一首』には元良親王の作として、以下の和歌が採られている。


わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はんとぞ思ふ — 小倉百人一首20

系譜編集

尊卑分脈』による。

脚注編集

  1. ^ 『徒然草』
  2. ^ 『勅撰作者部類』