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光明寺村女工焼死事件(こうみょうじむらじょこうしょうしじけん)は、1900年(明治33年)1月23日に、愛知県葉栗郡光明寺村(現:一宮市)の織物工場で、女工31名が焼死した事件である。

事件の概要編集

1900年1月23日午前3時30分、光明寺村の織物工場で火災が発生した[1]工場の2階に寄宿していた女工49名のうち18名は脱出できたが、残りの31名[1]が逃げ遅れて焼死した。女工たちの遺体は猛火に焼かれて完全に炭化しており、肉親でも見分けがつかないほどであったという。

事件の背景編集

当時の尾張地方の織物業者の間では、女工の逃亡防止のため、寄宿舎の窓に鉄格子をはめ、入口を施錠することが常識となっていた。この工場もそれに従っていたため、火災の際女工が脱出できず、このような悲惨な事態を招いてしまったといわれている。

その後の顛末編集

この事件は、当時の繊維工場の労働環境を調査した政府の報告書「職工事情」[2]にも掲載された。また、この事件を契機に、「工場寄宿舎規則」が改正され、労働者を監禁する形の寄宿舎は禁止となった。

焼死した女工の墓碑として、光明寺霊園に「織姫乃碑」が建てられた。また、葉栗郡地方の有力者が資金を出し合い、犠牲者の出身地の幡豆郡(現・西尾市)に慰霊碑が建立された。

「せんいの町一宮」の負の歴史を語る上で欠かせない事件として、一宮市教育委員会発行の中学校社会科副読本『のびゆく一宮』に掲載されている。

参考文献編集

  • 農商務省商工局工務課工場調査掛編 『職工事情』1巻 生活社、1947年。 NCID BN0397966X 
  • 『のびゆく一宮』(一宮市教育研究会中学校社会科部編 2002年)

外部リンク編集

脚注編集