児玉英水

日本の舞台プロデューサー

児玉 英水(こだま ひでみ、1914年 - 1945年)は日本の舞台プロデューサー。宮崎県西都市出身。

来歴・人物 編集

西都市三宅に、教育者の長男として生まれる。法政大学法学部入学後、1939年のノモンハン事件に出兵、九死に一生を得て帰国する。帰国後、東宝に入社、日劇の企画に配属。翌年上演される紀元2,600年奉祝、第81回日劇ステージショー、「民族舞踊・日向」の、プロデューサーを任され、1940年11月、1カ月にわたるロングランで、17万人もの観客を集める大成功をもたらす。しかし喜びもつかの間、1943年に報道班員としてマニラに渡り、終戦を前にした1945年7月20日、31歳の若さで戦火の中に姿を消す。

エピソード 編集

満映のスター李香蘭が初めて日本の舞台を踏んだ際(1941年2月11日:「歌う李香蘭」)、押し寄せたファンが日劇を取り巻く、いわゆる日劇七回り半事件が発生、警察官が出動して取り締まりに当たる騒ぎになったが、公演期間中エスコートしたのが英水であり、それを機会に李香蘭と交流することとなる。自叙伝『李香蘭・私の半生』の中で彼女は、英水が出征する前夜、2人して暗い東京の町を歩き続けたことや、東京駅頭で人知れず見送ったことを回想している。

児玉英水を演じた俳優 編集

関連人物 編集