入間川部屋
入間川部屋(いるまがわべや)は、かつて存在した日本相撲協会所属の相撲部屋。
沿革編集
12代時代編集
1912年1月場所を最後に現役を引退して年寄・入間川を襲名した12代入間川(元小結・両國)が、同時にそれまで所属していた出羽ノ海一門から分家独立する形で入間川部屋を設立した。1923年に5代出羽ノ海(元横綱・常陸山)の死去に伴い、12代入間川は年寄・出羽ノ海を「出羽海」と改めた上で6代出羽海を襲名し、入間川部屋は出羽海部屋へ統合された。この時、入間川部屋から出羽海部屋に移籍した力士の中には、後の関脇・新海や千賀ノ浦部屋からの預かり弟子だった後の関脇・綾川らがいた。その後、年寄名跡・入間川は出羽海一門のものとして一門内で継承され、出羽海一門の「不許分家独立」の不文律に従ってきた。
16代時代編集
1992年5月場所を最後に現役を引退して、以降は春日野部屋の部屋付き親方となっていた年寄・16代入間川(元関脇・栃司)が、1993年1月に内弟子3人を連れて春日野部屋から分家独立して入間川部屋を創設した。1993年9月場所後に埼玉県与野市(現在のさいたま市)で部屋開きを行った。
学生相撲出身の力士が多く、1994年1月場所において新十両へ昇進した大倭を最初として、5人の関取を誕生させた。師匠の現役時の四股名から取った「司」という字が付けられた力士が多い。2004年にはエストニアからアマチュア相撲の実力者だった北欧司(きたおうじ)が入門して同年5月場所に初土俵を踏んだものの、北欧司はホームシックにより同年9月場所に早くも引退した[1]。2020年9月場所現在は10人の力士が在籍している。
2011年に発覚した大相撲八百長問題では、所属力士である十両・将司が日本相撲協会からの引退勧告処分、幕下・恵那司が出場停止2年の処分を受けて引退し、師匠である16代入間川は監督責任として委員から主任への降格処分を受けた。
2020年9月28日には17代雷(元小結・垣添)が武蔵川部屋から転籍。2023年4月に16代入間川の停年を控えて同年2月1日に17代雷が部屋を継承し、同時に部屋名称は「雷部屋」に改称された。雷部屋としては62年ぶりの名称復活となる。なお、部屋付きの15代若藤(元幕内・皇司)は同日付で木瀬部屋に転属となった[2]。雷部屋への改称後については「雷部屋」を参照。
師匠編集
力士編集
幕内編集
- 前頭
十両編集
脚注編集
- ^ エストニアの北欧司が引退/ホームシックで
- ^ 元垣添の雷親方が入間川部屋継承、名称変え「雷部屋」62年ぶり復活 入間川親方4月定年 - 日刊スポーツ 2023年1月26日