八巻正治
八巻 正治(やまき まさはる、1950年 - )は尚絅学院大学元教授。北海道美幌町出身。
尚絅学院大学での担当科目は社会的養護、児童養護、社会福祉、相談援助である。
前任校の弘前学院大学では「障害者福祉論」が担当科目であった。
学歴及び人物・経歴編集
- 北海道美幌高等学校 普通科 卒 業
- 順天堂大学 体育学部 健康教育学専攻 卒 業
- 青山学院大学 第Ⅱ文学部 教育学科 卒 業
- 東洋大学 第Ⅱ文学部 教育学科 卒 業
- 日本福祉大学 通信教育部 医療福祉マネジメント学科 卒 業
- 立教大学 大学院 文学研究科:博士課程(前期) 修 了
- 米セント・チャールズ大学 (カリフォルニア神学大学院日本校:提携校) 修 了
- ニューポート大学大学院 博士課程 修 了
- 中部学院大学大学院 博士課程 退 学
東京都立光明養護学校教諭を経て四国学院大学 ・梅花女子大学 ・西南女学院大学 ・大分大学 ・弘前学院大学[1]教授 を歴任。博士(教育学)[2]・博士(宗教学)[3]
キリスト教の熱心な信者でもあり、香川県在住中にはラブリー・チャペル[4]と称した福祉を専門とする教会を牧師として運営していた[5]。 妻・益恵(旧姓・服部)も教会伝道者として布教活動を行っていた[6]。
知的障害を有する義弟を養育し[7]、そのことを決して隠すことなくむしろ積極的に大学の授業や講演等で啓蒙し、その生活の記録を妻・益恵との共著で『君は麦畑の風の中を―さわやか福祉へのまなざし』にまとめ上げた。 その著書の中で八巻は義弟と二人だけの北海道での24時間の生活の中で義弟に対し募らせたいら立ちを解消するために「そこで私は弟をしばしば怒鳴ったり、叩いたりしました」と率直に述べている(同書pp.141)。 また業務面に対する好影響については「例えば授業などでも、学生たちに話を具体的に伝えやすくなったこともそれです。実践論が主領域の私にとって、弟との日常生活で体験する出来事の一つひとつが仕事の材料ともなるのです」と述べている(同書pp.151)。 同じ著書の中で八巻は「また秋の紅葉が過ぎ冬場になると、あたりの山々がもうミカン色いっぱいになります。そしてドライブをしながらヒョイと手を伸ばせば道端のミカンが簡単に取れるのです(ゴメンナサイ)」とも書いている。しかし、これは冗談めかしてはいるが犯罪であり大学教授だったことも考えると問題がある行為である(同書pp.168)。妻・益恵は八巻と義弟の関係性について「また最近では、弟は夫のことをどうやら自分の『お仲間』と思っているらしく、夫との関わりを楽しんでいるようです。例えば、夫が仕事から帰るのを心待ちにしていて、帰宅するとまず『お兄チャン、仕事はどうでしたか?』とチェックします。そして夫が『ハイ、頑張ってきました!』と応えると、『お兄チャン、頭を出してごらん』と言い、『お兄チャン、か~わ~いい~』と言いながら夫の頭をなで回すのが常なのです。また、買い物や旅行で外を歩くときには、夫の後ろからソ~ッと近づいて行って夫の腕に自分の腕を回して、嬉しそうに夫と並んで歩きます」と暖かで、ほのぼのとしたエピソードを披露している(同書pp.195)。 この件に関して八巻はネットの匿名掲示板で話題になった時に「当事者本人が非公開としている私的情報を、当事者本人の了解無く書き込むことは、自己決定権に抵触する人権侵害です。ゆえに削除を要請します」と削除依頼をしていた。しかし著書も出し大学や各所の講演会でも公言している事実により、これは当然却下された。
東日本大震災時には社会福祉実践者として『やまちゃんサービス』(八巻の名から命名)と称したボランティア活動を行っていた。活動内容としては被災者への米や餅等の支給、および「お茶会」の開催等であった。八巻は「“やまちゃんサービス”は寄り添い・支えあい・分かち合いのまなざしをもって、仮設住宅で生活しておられる住民さんたちと『共に在ること』を大切にしながら活動を展開し、最後のお一人が住宅を離れるまで共に歩むことを願っています」と述べている。(やまちゃんサービス サイトより)
尚絅学院大学を定年退職後、名誉教授。
安保法制についての考え編集
◇今回の大規模デモや議論での、目をつり上げて激高した人びとの表情や、政府関係者たちに浴びせかけた罵詈雑言の数々を映像でみたり、文章を読んだりするたびに悲しみをおぼえました。美しい日本語を用いつつ、お互いを理解し合おうとするまなざしは、どこに消え去ったのでしょうか?[9] 。
と反対派を手厳しく批判している。 また「自衛隊、そして自衛官たちは、私たちの誇りです!」と自衛隊を賛美・称賛している。(前掲サイト)
学歴疑惑編集
2008年1月26日号の週刊現代に掲載された「ニセ博士ー『実名』と『言い訳』」の記事の中で八巻のニューポート大学大学院の博士号取得について取り上げられた。 その中で八巻は「日本の大学だって、海外ならば非認定校だ。ディプロマミルと同列視されるのは、不愉快だ」とコメントした( 非認定校による 修士号・博士号 取得者一覧)。
著書編集
脚注編集
- ^ 「弘学時代の八巻正治先生」。
- ^ 現在は削除されているが以前の「八巻正治オフィシャルサイト」では「2000年03月27日 『米ニューポート大学』より 『教育学博士(Ed.D.)』の学位を取得」と明記されていた。
- ^ 現在は削除されているが以前の「八巻正治オフィシャルサイト」では「1994年02月26日 『米セント・チャールズ大学(カリフォルニア神学大学院日本校:提携校)』より 『博士(宗教学)(Ph.D.)』 の学位を取得」と明記されていた。
- ^ 毎週の礼拝の中で、フランシスコ修道会を創設した聖フランシスコによる「平和を求める祈り」を全員で唱和していた。「『さわやかな風のように』(キリスト新聞社、1990年)」(pp.232)
- ^ (『前掲書』pp.9)
- ^ (前掲書』pp.75)
- ^ この時の決意について八巻は「両親、特に妻の母親はこれからの私たちの苦労を予想して、ためらいの言葉を幾どとなく発しました。しかし私に迷いはありませんでした。なぜならそれは神様からの召命だったからです」と毅然と述べている(『さわやかな風のように』pp.13)
- ^ 『月刊「ノーマライゼーション 障害者の福祉」1996年11月号』(第16巻 通巻184号-気になるカタカナ インクルージョン-))
- ^ 生き延びた者として・・
- ^ 序文は北海道家庭学校の谷昌恒である。
参考文献編集
- ニュージーランドにおけるインクルージョン研究 : 権利擁護機関としての「SES」八巻 正治 梅花女子大教授、 1999 年
- 『社会福祉学研究』第3号あとがき、弘前学院大学、2008年 pdf
- 人間のための福祉支援実践論研究 : インクルーシヴ支援論への転換をめざして 八巻 正治 弘前学院大教授 2009年
- 【要旨】本小論は、対人支援活動において支援実践者が保有すべき理念について、経験主義的支援観から論じたものである。系統主義的支援観は、そこに能力主義的視点を内包するがために、インクルーシヴ支援論を構築するうえでふさわしくない。これに対して経験主義的支援観は、一人ひとりの支援ニーズに即した支援理念をそこに内包しているため、利用当事者を主軸としたインクルーシヴな支援実践論として志向されるべき理念である。
外部リンク編集
- 月刊「ノーマライゼーション 障害者の福祉」1996年11月号(第16巻 通巻184号-気になるカタカナ インクルージョン-)
- 弘前学院大学 大学院 社会福祉学研究目次 -第4号目次【第二部 研究論文】人間のための福祉支援実践論研究 -インクルーシヴ支援論への転換をめざして- ・・・八巻 正治(41p)
- 八巻正治教授 最終講義 - 日時:2018年2月15日(木)13:00〜14:00 場 所:尚絅学院大学5C講義室
- live doorプロフィール 八巻正治live door
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- 大分大学教授・八巻正治教育学博士について語ろう!
- 八巻正治オフィシャルサイト
- 中部学院大学 博士学位論文報告会及び第3回博士課程中間報告会 - 第3回博士課程中間報告会 八巻 正治「ヒューマン・ウェルビーイング論研究」(指導教授:秦 安雄教授)