出馬迪男
日本の実業家 (1937-2019)
出馬 迪男(いづま みちお、1937年(昭和12年)1月20日 - 2019年(令和元年)12月15日)は、日本の実業家。フジテレビジョン副社長、関西テレビ放送社長を務めた。
いづま みちお 出馬 迪男 | |
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生誕 |
1937年1月20日 日本 大阪府 |
死没 | 2019年12月15日(82歳没) |
死因 | 心不全 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部 |
職業 | 実業家 |
栄誉 | 日本宣伝賞正力賞(2002年度) |
来歴
編集大阪府出身。大阪府立高津高等学校、慶應義塾大学法学部を卒業。
共同テレビジョンを経て[1]、1963年(昭和38年)1月フジテレビジョン入社。
1987年(昭和62年)6月取締役営業局長、88年6月常務取締役(営業担当)、91年6月専務取締役(総括担当)。
1997年(平成9年)6月代表取締役副社長営業統括本部長、99年6月代表取締役副社長営業総括・営業統括本部長特命事項担当。
関西テレビ放送社長
編集2001年(平成13年)6月、関西テレビ放送代表取締役社長に就任する。03年には季刊雑誌『放送界』表紙を飾った。06年代表取締役会長。
2007年(平成19年)に発覚した関西テレビ放送が制作した情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造(ねつぞう)問題では、世間の信頼を損ねたが、同社の角和夫代表取締役(阪急阪神ホールディングス社長)、コンプライアンス(法令順守)担当の山本紘専務と共に役員報酬の20%を3か月間返上した。
2008年(平成20年)6月名誉顧問となる。
2019年12月15日、心不全のため死去[1]。享年82。翌年2月19日、関西テレビとフジテレビの共催でホテル阪急インターナショナルにおいてお別れの会が執り行われた[2]。
役職履歴
編集脚注
編集- ^ a b “関西テレビ名誉顧問の出馬迪男氏死去 元会長、元フジテレビ副社長”. 産経新聞. (2019年12月18日) 2022年11月6日閲覧。
- ^ “故出馬迪男氏のお別れの会”. 産経新聞. (2020年1月27日) 2022年11月6日閲覧。