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大阪府立高津高等学校(おおさかふりつこうづこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Kozu High School)は、大阪府大阪市天王寺区餌差町にある公立高等学校

大阪府立高津高等学校
Kozu high school
過去の名称 大阪府立第十一中学校
大阪府立高津中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗 大阪府
校訓 自由と創造
設立年月日 1918年3月28日
創立記念日 4月25日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
文理学科
学期 2学期制
高校コード 27144G
所在地 543-0016
大阪市天王寺区餌差町10番47号
外部リンク 公式サイト
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概要編集

1918年に11番目の府立中学校として創立。中等教育機関の入学難を緩和させるため、大阪府が大正中期に新設した旧制中学校5校のひとつ。初代校長の三沢糾は「自由と創造」を掲げ、「東の伊藤東京府立第五中学校)、西の三沢」と称され、大正自由教育運動の象徴の学校とされた。校内にある「高津宮址碑」は、大阪市歌の冒頭にある「高津宮」の起源と伝えられ、校名もこれに由来する。2018年には旧制から数えて創立100周年を迎えた。

校章・校歌編集

校章は旧制中学の「中」を表す六稜に山桜紋。天王寺(二本線)、市岡(三本線)、今宮(四本線)と、大阪市内の府立中学校は校章の左右に創立順を表すラインを付していたが、当校はラインをやめ山桜の花弁(五枚)で「市内第五中学」であることを表している。現校舎の正面に付いている校章も、「中」の中縁取りを埋めていない旧制高津中学時代のデザインである。

 
校章

校歌は、当時の生徒で現ジャズピアニストの大塚善章(29期)が作曲したものである。一番に上町台地の校舎から眺める「山(生駒山)」、二番に校是のキーワード「自由」が愛と平和の間に、そして三番に校章の「星(六稜)・桜」がそれぞれ歌い込まれている。なお高津の校名は、三番になるまで登場しない。旧制高津中学校校歌は、高木及言が作詞、永井巴が作曲した。冒頭に「高津宮跡」があるが、やはり校名は歌われていない。

校風・教育目標編集

服装編集

服装は自由で制服などは特に定められていない。校章も購買で販売されているが着用は自由である。

教育目標編集

教育目標として、強靭な知性、みずみずしい感性、品格ある人間性、を掲げる。

進路指導に力を入れ、生徒に対する進路指導プログラムとして「進路週間」「進路講演会」のほか、進学のための「早朝講習」「土曜講習」、長期休暇中の講習を実施している。

「進路週間」では有名な大学・企業の説明会があり、生徒の進路を選択する指針にする。「進路講演会」では社会で活躍する著名なOB・OGが卒業後の将来について夢を語る。

他、『体験型進路学習』として1年次に大阪府内の企業などへの訪問、2年次に大学の研究室への訪問をし、その内容をプレゼンテーションで発表をするという独自の行事を設けている。

行事編集

独自の文化として体育祭文化祭を合わせて「記念祭」と称し、文化祭の最後にファイヤーフォーク(略してF.F.)と呼ばれるフォークダンスを踊る会でしめくくる。記念祭の実施は長年秋に行なっていたが熱中症予防の観点から2017年度から体育祭を6月、文化祭を9月に行なっている。

記念祭のほかに、年に2回、自治会執行部が中心となって実施する校内大会を行っている。各クラスにおける討論の結果を反映させ自治会が種目を決定する。当日の運営も自治会の手で行う。

エピソード編集

1987年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説はっさい先生』の舞台である“(架空の)上本町中学”のモデル校になり、当時はまだ旧校舎が残っていた高津高校でロケも行われた。

沿革編集

1918年3月28日の文部省告示第38号により、大阪府立第十一中学校が大阪市に設置されることが認可された。設置当初は正式な場所は決まっておらず、大阪市北区北野茶屋町・心華小学校[1]を仮校舎として設置された。

1919年3月28日の文部省告示第70号により大阪府立高津中学校と改称し、直後の1919年4月に大阪市東区東高津北之町(当時)の現在地に校舎が竣工して移転している。1922年には大阪府の学校では初めてとなる、鉄筋コンクリート校舎が竣工している。

1934年9月21日室戸台風では木造校舎が倒壊したが、校内での人的被害はなかった。

1945年3月13日深夜から3月14日未明にかけての第一次大阪大空襲では、校舎や倉庫などを焼失している。また5月22日6月5日の空襲でも校舎に被害を受けている。空襲で被災した校舎は1948年2月に復旧した。

1948年の学制改革により、全日制普通科・定時制普通科を併設する大阪府立高津高等学校が発足した。同年4月28日付で近隣の大阪府立清水谷高等学校(旧制清水谷高等女学校)と生徒・教職員を交流し、男女共学となった。

1956年新入生より、英語科について進度別のクラス編成をおこなうことにした。しかし反対もあり、1959年に通常のクラス編成へと戻されている。また同時期には、選択科目としてドイツ語が開講された。

1969年から1970年にかけては学園紛争の影響を受け、一部生徒が学校を封鎖する騒ぎも何度か発生している。

校舎老朽化に伴う建て替え工事により、1992年には新校舎が完成した。2002年度から2006年度にかけての5年間、大阪府教育委員会からエル・ハイスクール事業の指定を受けた。また2008年には スーパーサイエンスハイスクールの指定を受けている。

2009年には大阪府教育委員会の進学指導特色校事業の対象校になり、2011年度より従来の普通科に加えて文理学科を併設した。

2018年に創立100周年周年(旧制中学校から数えて)を迎えた。

定時制編集

1934年に夜間中学校が併設されたことが、定時制の起源となる。夜間中学校は1948年の学制改革により、大阪府立高津高等学校定時制となった。

しかし1995年、大阪府の定時制高校再編策により、高津高校を含む府立高校6校の定時制(高津・市岡今宮勝山守口佐野)が募集停止となることが発表された。学校関係者は他の対象校の関係者とも連携しながら廃校反対運動を起こしたが、廃校の方針が決まり、1996年以降の新入生募集を停止した。在校生が卒業した1999年3月に閉課程となった。なお、同時期に開設された大阪府立桃谷高等学校定時制課程が、高津・勝山の両校定時制課程の実質的な後継校として位置づけられている。

年表編集

高等学校関係者一覧編集

自治会活動編集

高津高校では生徒会を「自治会」と称して様々な活動をしている。 全校生徒により選出される自治会執行部はこの自治会の中心として年2回開催される校内大会の運営や部活動の総括等を主な仕事としている。

部活動編集

交通編集

参考文献編集

  • 大阪府立高津高等学校『創立60周年記念』、1978年。

脚注編集

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  1. ^ 貧困による不就学が地域で目立っていたことを背景に、地域の篤志家の手によって1909年に私立夜間小学校として創立。敷地が阪急電鉄の高架化工事のために立ち退きになり1924年一時廃校し、旧校の財産を大阪市に移管して現在の北区長柄西1丁目・関西大学天六キャンパス南隣で1925年市立学校として再開。1946年廃校。

関連項目編集

外部リンク編集