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北条 教時(ほうじょう のりとき)は、鎌倉時代中期の武将。北条氏の一門。名越流北条朝時の子。母は北条時房の娘。名越 教時(なごえ のりとき)とも。

 
北条教時 / 名越教時
時代 鎌倉時代中期
生誕 嘉禎元年(1235年
死没 文永9年2月11日1272年3月11日
別名 名越教時
官位 遠江守、従五位上
幕府 鎌倉幕府 引付衆評定衆
主君 宗尊親王
氏族 北条氏 名越流
父母 父:北条朝時、母:北条時房の娘
兄弟 光時時章時長時幸時兼教時時基、他
宗教宗氏公教、女[1]
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生涯編集

康元元年(1256年)から文永2年(1265年)まで引付衆、文永2年(1265年)から文永9年(1272年)まで評定衆を務めた。

北条得宗家への反抗の意志が強く、文永3年(1266年)6月、将軍宗尊親王の京都送還の際、北条時宗の制止を無視して軍兵数十騎を率いて示威行動に出ている。

文永9年(1272年)、得宗転覆を企て謀反を起こすが、8代執権となった時宗の討伐軍によって討ち取られた(二月騒動)。享年38。系図によれば、このとき息子の宗教宗氏も共に討たれている。

経歴編集

※日付=旧暦

  • 建長6年(1254年)12月12日、従五位下に叙し、刑部少輔に任官。
  • 康元元年(1256年)4月、幕府の引付衆と就る。
  • 弘長3年(1263年)1月19日、中務権大輔に転任。
  • 文永2年(1265年)6月11日、評定衆に異動。
  • 文永3年(1266年)3月2日、従五位上に昇叙。中務権大輔如元。
  • 文永7年(1270年)9月23日、遠江守に遷任。
  • 文永9年(1272年)2月11日、二月騒動で死去。

脚注編集

  1. ^ 1277年3月26日に死去。

登場作品編集