北条時幸

鎌倉時代前期の北条氏の一門。北条朝時の四男。宮騒動で自害。

北条 時幸(ほうじょう ときゆき)は、鎌倉時代前期の北条氏の一門。北条氏名越流の祖である北条朝時の子。名越 時幸(なごえ ときゆき)とも。

 
北条時幸
時代 鎌倉時代中期
生誕 未詳
死没 寛元4年6月1日1246年7月15日
別名 名越時幸
官位 修理亮、従五位下
幕府 鎌倉幕府
主君 藤原頼経頼嗣
氏族 北条氏 名越流
父母 北条朝時
兄弟 光時時章時長時幸時兼教時時基、他
北条有時の娘
太郎時春
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4代執権北条経時が早世すると、兄弟と共に前将軍藤原頼経を擁して反得宗・将軍派を形成し、執権北条時頼を廃そうとした宮騒動を起こすが失敗し、兄光時と共に出家して時頼に降伏した。時幸は反得宗で最も強硬派であったと見られている。

降伏後、まもなく病没したと『吾妻鏡』は伝えるが、葉室定嗣の日記『葉黄記』に拠れば自害させられたという。

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