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北百済村(きたくだらむら)は、かつて大阪府住吉郡東成郡に存在した村。

きたくだらむら
北百済村
廃止日 1925年4月1日
廃止理由 編入合併
大阪市第二次市域拡張
現在の自治体 大阪市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
東成郡
団体コード 当時存在せず
面積 1.90km2.
総人口 2,884
国勢調査、1920年)
隣接自治体 平野郷町、中河内郡巽村
田辺町、天王寺村
生野村、南百済村
北百済村役場
所在地 大阪府東成郡北百済村大字新在家900番地
外部リンク 当時存在せず
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現在の行政区では、大阪市東住吉区杭全、今川、今林、桑津にあたる。

概要編集

  • 1889年(明治22年)4月1日、住吉郡の新在家村、今在家村、今林村、桑津村が合併し、北百済村が発足し、1925年(大正14年)4月1日、大阪市第2次市域拡張により大阪市住吉区に編入されるまで存在した村である。
  • 東成郡の中央よりやや東南に位置し、東西約13町(約1.4km)、南北約20町(約2.1km)、面積0.1233方里(1.9平方キロメートル)の区域であった。東は平野郷町中河内郡巽村、西は田辺町天王寺村、北は生野村、南は南百済村とそれぞれ接していた。村内には「新在家」、「今在家」、「今林」、「桑津」の4の大字と52の小字が存在した。現在の地形とほぼ同じく村全域に平地で中央に南北に通る今川堤があり、その東に今川、西に駒川が流れていた。江戸時代(平野郷の散郷だった頃)から純農村地域で村民は農業従事者が大部分を占め、『東成郡誌』には「地勢平坦。地味は乾田多く攘土にして米作に適せり。」、「本村は古来純農村にして今に農業は本村の大部を占む」、「主要農作物は米麦とす」との記録が残っている。
大字 小字
大字新在家 新在家、馬繋、樋上、マブシ、尼ヶ池、古川、太島、野末、池ノ内、高部、ウトフ、三輪田、垣添、サナフリ、桑津河原
大字今在家 今在家、ビソ、菩薩ヶ池、皿池、サナフリ、島ノ池、無用、狐塚
大字今林 今林、道願切、松本、三輪田、波打、池内、木寅、大別富、芝ノ掛、神子圓、下東河原、上東河原
大字桑津 桑津、東浦、北ノ山、北口、芝、一ノ坪、塩辛、宮西、西野々、墓ノ前、大塚、中島、砂河原、西口、南口、大井、瓜生
備考:大字新在家は現在の杭全、大字今在家は今川、大字今林は今林、大字桑津は桑津に位置する。

歴史編集

村名の由来

  • 『東住吉区史』には、当時の住吉神社の神官が「酒君塚」(鷹合)のあることから命名したとされている。

沿革・年表

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 住吉郡新在家村、今在家村、今林村、桑津村が合併し、北百済村が発足。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 住吉郡が東成郡へ編入され、東成郡北百済村になる。
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 国鉄関西本線百済駅が開業する。
  • 1910年(明治43年) - 帝国在郷軍人会北百済村分会が設立される。
  • 1912年(明治45年)1月19日 - 北百済村教育会が創立される。
  • 1925年(大正14年)4月1日 - 大阪市第2次市域拡張により大阪市住吉区に編入され、大字は順に杭全町、今川町、今林町、桑津町となる。

官公庁編集

  • 村役場
    役場は大字新在家900番地にあり、建坪20坪の木造家屋一棟であった。村政は村長、助役、収入役、書記2名の合計5名で執行されていた。
  • 歴代村長
村長名 任期
奥村太三郎 1889年(明治22年)5月27日 - 1890年(明治23年)6月14日
辰巳為三郎 1890年(明治23年)6月24日 - 1894年(明治27年)4月20日
藤本繁 1894年(明治27年)4月27日 - 1897年(明治30年)6月3日
日下裕三 1897年(明治30年)11月5日 - 1899年(明治32年)12月1日
辰巳為三郎 1900年(明治33年)2月16日 - 1902年(明治35年)5月26日
日下陽一 1902年(明治35年)6月5日 - 1906年(明治39年)11月2日
河井信一 1907年(明治40年)3月 - 1911年(明治44年)2月14日
仲田泰治郎 1911年(明治44年)2月15日 - 1920年(大正9年)6月13日(3期連続)
仲田太三郎 1920年(大正9年)9月17日 -
  • 村会
    村会は議員定数一級6名、二級6名の計12名で構成されていた。
  • 警察
    平野郷分署に属す北百済村巡査駐在所が大字新在家74番地にあった。管轄区域は北百済村全域を担当し、駐在所は1名だった。
  • 郵便・電信
    郵便は、平野郵便局区域に属し、村内には郵便局がなく、郵便投函(郵便ポスト)が大字新在家に1つ、大字桑津に2つあった。
    電信は、電信亦平野郵便局直配区域に属し、電話は村役場に公設電話が1台設置されていた。
  • 兵事関係
    1910年(明治43年)帝国在郷軍人会の発足に伴い、帝国在郷軍人会北百済村分会が設立され、事務所は村役場に設置された。
    (1918年(大正7年)10月時の会員数は161名)

交通編集

  • 鉄道路線
    1909年(明治42年)4月1日、百済村大字新在家に国鉄関西本線(現在のJR西日本大和路線百済駅が開業した。
    (1918年(大正7年)時期の1日平均利用者数は196人)
  • 主要道路
    奈良街道[1]
    百済街道
    桑津街道
    下高野街道
    北八尾街道
  • 村内の交通車両の状況
    1918年末(大正7年)の調査結果は、荷積用馬車72台、牛馬3頭、中小車374台、自転車90台との記録が残っている。

教育編集

  • 初等教育
    初等教育機関としては、1875年5月に開校した第三中学区住吉郡第一区第八番小学校(現在の大阪市立育和小学校)が大字新在家522地にあり、北百済村の発足後は住吉郡新在家簡易教場から住吉郡北百済簡易小学校、北百済尋常小学校へ改称を経ながら北百済村の初等教育を行っていた。
  • 北百済村教育会
    1912年(明治45年)1月19日に創立され、地元での講演会、青年夜学会の開催、学齢児童の就学補助等の活動を行っていた。

参考文献編集

  • 『東成郡誌 下巻』(1923年 東成郡役所編集 / 1973年 復刻版 株式会社名著出版)
  • 『東住吉区史』

脚注編集

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  1. ^ 大阪市東住吉区 東住吉100物語 036 国道25号(通称奈良街道)

関連項目編集