十津川光子
略歴
編集北海道生まれ。新十津川村生まれ。庁立滝川高等女学校を戦後に卒業[1]。慶應義塾大学医学部付属厚生女子学院(現・慶應義塾大学看護医療学部)を卒え、看護婦となる。
小説を木々高太郎に師事し、1958年『コタンの春』を上梓(序文は木々)。1960年の『胎動期』は、東芝日曜劇場でテレビ放送され、三輪彰監督・新藤兼人脚本によって「胎動期 私たちは天使じゃない」として1961年に映画化された。『悪評の女』は、真杉静枝の伝記。
1974年、朝海さち子の筆名で、「谷間の生霊たち」により太宰治賞を受賞した(太宰賞受賞時の『文芸展望』より)。
著書
編集脚注
編集- ^ 小笠原克『近代北海道の文学』、日本放送協会、1973