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三輪 彰(みわ あきら、1923年5月19日 - )は、日本の映画監督脚本家である。

みわ あきら
三輪 彰
生年月日 (1923-05-19) 1923年5月19日(96歳)
出生地 日本の旗 東京都杉並区
国籍 日本の旗
職業 映画監督脚本家
ジャンル 現代劇ピンク映画
テレビ映画教育映画
活動期間 1953年 - 1971年
主な作品
海豹の王
O線の女狼群
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人物・来歴編集

1923年(大正12年)5月19日、現在の東京都杉並区に生まれる[1]

法政大学経済学部在学中に、学徒出陣により兵役に赴き、中国で第二次世界大戦の敗戦をむかえる。

大陸から復員後、1947年(昭和22年)5月に新東宝演出部に入社した。1953年(昭和28年)3月5日に公開された内山義重の「エイトプロ」製作の五所平之助監督の『煙突の見える場所』ではチーフ助監督を務めている。1955年(昭和30年)6月19日新東宝内田吐夢監督の『たそがれ酒場』の助監督につき、1957年(昭和32年)『肉体女優殺し 五人の犯罪者』以来、 石井輝男監督のチーフ助監督をつとめた。

1958年(昭和33年)4月28日、『スーパージャイアンツ 宇宙怪人出現』の脚本を執筆し、監督デビューする。1961年(昭和36年)4月12日、『胎動期 私たちは天使じゃない』をもって新東宝を去る。1963年(昭和38年)5月21日公開のピンク映画『熱いうめき』をもって、湯浅浪男の「第七グループ」の第一回作品の監督となる。三輪は日本で5人目のピンク映画監督となった。

1964年(昭和39年)7月24日に放映を開始した、新東宝の後身、国際放映のテレビ映画『しゃあけえ大ちゃん』( - 1965年1月22日)でテレビ映画の監督に進出、宝塚映画での『プロファイター』(1969年1月5日 - 3月30日)、『マキちゃん日記』(1969年10月7日 - 1970年10月11日)の監督も行った。

テレビ映画『天皇の世紀』 (1971年10月23日) の第8回以降、教育映画に移行し、よく知るところとなる作品は残していない。妻は「石井輝男プロダクション」の会計事務をつとめ、娘は、ハリウッド映画でメイクアップ・アーティストとして活躍するAKOである。

おもなフィルモグラフィ編集

監督昇進以降は、特筆以外は監督作である。

助監督編集

劇場用映画編集

テレビ映画編集

脚注編集

  1. ^ 三輪彰 KINENOTE 2018年8月17日閲覧。

外部リンク編集