南部利克
南部 利克(なんぶ としなり、明治6年(1873年)10月17日[1] – 昭和25年(1950年)5月6日)は、戦前日本の華族(子爵)。旧八戸藩南部家の12代当主。
生涯
編集明治6年(1873年)、陸奥盛岡藩主・南部利剛の十一男として生まれる。明治11年(1878年)に姉の麻子の養子となり、同年5月17日に4歳で八戸南部家の家督を継ぐ。明治13年(1880年)に従五位に叙せられる。明治17年(1884年)に子爵となった。慶應義塾幼稚舎を経て大学部まで進む。明治26年(1893年)、水野忠敬の長女銓子と結婚する。宮内省に出仕して式部官を務めた。
栄典
編集家族
編集- 妻・銓子 - 子爵水野忠敬の長女
- 長男 南部信克[6] - 妻の章子は桜井忠胤の長女[7]。
- 長女 柳沢陽子 - 柳沢徳忠長男柳沢徳鄰妻[6]
- 二男 井上正鑑(旧名・信鑑) - 子爵井上正順長男井上正言嗣[6]
- 三男 松平直鑑(旧名・信鎮) - 子爵松平直静の子松平直幹養子(長女の夫)[6][8]
- 四男 島津久英(旧名・信英) - 男爵島津久賢養子[6]
- 五男 櫻井信雄 - 桜井忠胤娘・美知子の入夫[6]
- 六男 鹿園直治 - 鹿園博仲嗣[6]。妻の兄である鹿園博仲(林博太郎二男、男爵鹿園実博養子)の養子となり鹿園家を継承。
- 七男 米原信喜 - 米原五郎(大成火災海上保険重役)養子[6][9]
- 八男 久保田真宏 - 東京株式取引所取引員久保田正治養子[6][10]。長兄・五兄の岳父である桜井忠胤の長男・桜井忠養とは京大時代に茶道の会を設立した仲[11]。
脚注
編集- ^ 南部利克 初版 [明治36(1903)年4月] の情報 - 人事興信録データベース
- ^ 『官報』第6135号「叙任及辞令」1903年12月12日。
- ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
- ^ 『官報』第1930号「叙任及辞令」1919年1月11日。
- ^ 『官報』第373号「叙任及辞令」1928年3月29日。
- ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』下巻、293-294頁。
- ^ 桜井忠胤『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 松平直幹『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 『実業の日本』, 第53巻、実業の日本社, 1950、p92
- ^ 久保田正治『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 京都大学心茶会久松真一記念館
参考文献
編集- 『八戸南部史稿』八戸市、1999年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』下巻、社団法人霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (八戸)南部家初代 1884年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |