南閉伊郡

日本の岩手県にあった郡
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南閉伊郡(みなみへいぐん)は、岩手県にあった

岩手県南閉伊郡の範囲

郡域

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明治12年(1879年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

歴史

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郡発足までの沿革

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大槌村[1]、小槌村[2]、甲子村、平田村、釜石村、両石村、箱崎村、鵜住居村、片岸村、栗林村、橋野村、吉里吉里村[3]、金沢村

郡発足以降の沿革

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  • 明治12年(1879年)1月4日 - 閉伊郡が分割し、釜石村ほか13村の区域をもって南閉伊郡が発足。郡役所が釜石村に設置。
 
21.釜石町 22.大槌町 23.甲子村 24.鵜住居村 25.栗橋村 26.金沢村(紫:釜石市 赤:上閉伊郡大槌町 1 - 11は西閉伊郡)
  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・釜石市。(2町4村)
    • 釜石町 ← 釜石村、平田村
    • 大槌町 ← 大槌村、小槌村、吉里吉里村(現・上閉伊郡大槌町)
    • 甲子村 (単独村制)
    • 鵜住居村 ← 鵜住居村、片岸村、箱崎村、両石村
    • 栗橋村 ← 栗林村、橋野村
    • 金沢村 (単独村制。現・上閉伊郡大槌町)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、南閉伊郡・西閉伊郡の区域をもって上閉伊郡が発足。同日南閉伊郡廃止。

変遷表

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自治体の変遷
明治以前 明治初年 - 明治11年 明治12年
1月4日
南閉伊郡発足
明治22年
4月1日
町村制施行
明治29年
4月1日
上閉伊郡発足
現在
釜石村 釜石村 釜石村 釜石町 上閉伊郡
釜石町
釜石市
平田村 平田村 平田村
鵜住居村 鵜住居村 鵜住居村 鵜住居村 上閉伊郡
鵜住居村
片岸村 片岸村 片岸村
箱崎村 箱崎村 箱崎村
両石村 両石村 両石村
甲子村 甲子村 甲子村 甲子村 上閉伊郡
甲子村
栗林村 栗林村 栗林村 栗橋村 上閉伊郡
栗橋村
橋野村 橋野村 橋野村
大槌村 大槌村 大槌村 大槌町 上閉伊郡
大槌町
大槌町
小槌村 小槌村 小槌村
吉里吉里村 吉里吉里村 吉里吉里村
金沢村 金沢村 金沢村 金沢村 上閉伊郡
金沢村

行政

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特記なき場合『上閉伊郡志』による[5]

南閉伊郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 原官次郎 明治12年(1879年)4月 郡書記、郡長代理
2 花輪博 明治12年(1879年)
3 江刺恒承 明治13年(1880年) 明治13年(1880年)9月 廃官
西閉伊・南閉伊郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 米内真豊 明治13年(1880年) 明治18年(1885年)5月 西閉伊郡長より転任
2 中村秀俊 明治18年(1885年)5月 明治29年(1896年)4月
3 一ノ倉貫一 明治29年(1896年)4月 明治30年(1897年)3月31日 南閉伊郡廃止

脚注

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  1. ^ 記載は大鎚村。
  2. ^ 記載は小鎚村。
  3. ^ 記載は吉里々々村。
  4. ^ 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。
  5. ^ 巌手県教育会上閉伊郡部会 1913, 123頁.

参考資料

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  • 巌手県教育会上閉伊郡部会 編『上閉伊郡志』巌手県教育会上閉伊郡部会、1913年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950674 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 3 岩手県、角川書店、1985年2月7日。ISBN 4040010302 

関連項目

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先代
閉伊郡
郡の変遷
1879年 - 1897年
次代
上閉伊郡