原昌三
原 昌三(はら しょうぞう、1926年9月26日 - 2018年6月9日)は、日本の造船技術者、アマチュア無線家、馬術選手[1][2]。日本アマチュア無線連盟や日本馬術連盟の会長を務めた[1]。妻は入江相政の長女・令子。母方の祖父は坂本俊篤。大叔父に塩野季彦がいる。
来歴編集
三菱重工業長崎造船所に勤務していた父の仕事の関係で長崎県に生まれる[1]。小学生の頃に鉱石ラジオを作る[2]。太平洋戦争中には海軍技術研究所に勤務し、レーダーの研究などに携わった[3]。
学習院初等科、学習院中等科を経て[4]、1948年に学習院高等科理科甲類を卒業[5]。1951年に早稲田大学理工学部電気工学科を卒業後、東日本重工業(現・三菱重工業)に入社した[1]。三菱重工業では船舶事業本部技師長(1982年 - 1993年)となり、護衛艦や砕氷艦ふじの建造や艤装を手がける[2][5]。
1952年にJA1ANのコールサインでアマチュア無線局を開局[1]。これは戦後初のアマチュア無線技士国家試験に合格してのものだった[3]。日本アマチュア無線連盟ではその年から理事を務め、1970年から2012年まで会長の座にあった[1]。2012年同連盟の一般社団法人移行を持って退任した後の2014年6月に名誉会員の称号を授与される[6]。また、日本アマチュア無線振興協会の1991年の設立から2014年まで会長を務め、同年名誉会長となる[1]。
1950年の第5回国民体育大会(愛知国体)馬術競技および1951年の全日本馬場馬術選手権で優勝する[2][7]。1976年に日本馬術連盟理事長、日本オリンピック委員会(JOC)委員に就任し、1993年から2002年まで日本馬術連盟会長を務めた[1][8]。
著書編集
- 『アマチュア無線の世界 趣味の王様=ハムの楽しさ・歴史・入門法』CQ出版、1997年
- 『About VHFに見る無線史 CQ ham radio誌連載600回を超えた「About VHF」回顧録』<Radio classics books>CQ出版、2004年
- 『ハローCQ原昌三 時代の証言者』(読売新聞社編)日本アマチュア無線連盟、2016年
顕彰編集
脚注編集
- ^ a b c d e f g h “【訃報】JA1AN 原 昌三氏(JARL元会長、JARD名誉会長)”. hamlife.jp. (2018年6月9日) 2020年7月9日閲覧。
- ^ a b c d 「追悼抄 「無線」「馬」「船」 世界を股…原 昌三さん 元日本馬術連盟会長」読売新聞2018年7月22日
- ^ a b JA1AN 原昌三氏 - 週刊BEACON(アイコム株式会社)
- ^ “No.1 ラジオ放送が聞こえた | JA1AN 原昌三氏 | アマチュア無線人生いろいろ | 週刊BEACON | 個人のお客様 | アイコム株式会社”. __SITENAME__. 2023年1月31日閲覧。
- ^ a b About VHFに見る無線史 CQ ham radio誌連載600回を超えた「About VHF」回顧録 - 紀伊國屋書店(「著者等紹介」を参照)
- ^ 【訃報】JA1AN 原 昌三 JARL元会長(JARL名誉会員) - 日本アマチュア無線連盟(2018年6月11日)
- ^ 『VHFに見る無線史』の著者紹介では「(昭和)25年広島国体」とあるが、広島国体は翌1951年の開催である。
- ^ 【訃報】原昌三 最高顧問 - 日本馬術連盟(2018年6月12日)